フランク王国とは?いつからいつまで・現在のどこかを解説

フランク王国とは、フランク人がガリア地方を中心に築いた中世ヨーロッパの王国です。世界史では、クローヴィスの統一、カール大帝の大帝国、843年のヴェルダン条約による三分割が特に重要です。

「フランク王国はいつからいつまで?」と聞かれた場合、一般には5世紀後半のクローヴィスの時代から、843年のヴェルダン条約で西フランク・中部フランク・東フランクに分かれるまでを大きな区切りとして理解します。ただし、その後も西フランク王国や東フランク王国として流れは続きました。

この記事では、フランク王国の意味、いつからいつまでか、現在のどこにあたるのか、クローヴィス・カール大帝・ヴェルダン条約との関係をわかりやすく整理します。

もくじ

まず一言でいうと

フランク王国は、フランク人がガリアを中心に築き、カール大帝の時代に西ヨーロッパの大国となった王国です。

現在の地名でいうと、はじめは北フランス・ベルギー・西ドイツ方面に関係し、カール大帝の時代にはフランス、ベルギー、オランダ、ドイツ西部・中部、北イタリアなどを含む広い支配圏になりました。

フランク王国の基本情報

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項目内容
名称フランク王国
英語表記Frankish Kingdom、Kingdom of the Franks、Francia
中心勢力ゲルマン系のフランク人
成立の目安5世紀後半、クローヴィスの統一を重要な起点とする
大きな区切り843年のヴェルダン条約で西・中・東に三分割
主な王朝メロヴィング朝、カロリング朝
重要人物クローヴィス、カール・マルテル、ピピン3世、カール大帝、ルートヴィヒ1世
世界史での意味中世西ヨーロッパの政治・キリスト教世界・フランス/ドイツ方面の形成を考える起点

ブリタニカは、フランク人を5世紀に西ローマ帝国へ侵入し、現在の北フランス・ベルギー・西ドイツを支配して、初期中世西ヨーロッパで最も強力なキリスト教王国を築いたゲルマン語系の人々として説明しています。

いつからいつまでか

フランク王国の「いつからいつまで」は、どこまでをフランク王国と呼ぶかで少し変わります。

学習上は、5世紀後半のクローヴィスの時代から、843年のヴェルダン条約までを一つの大きな範囲として押さえると理解しやすいです。

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見方期間の目安説明
狭い意味の入口5世紀後半からクローヴィスがフランク人を統一し、ガリアで勢力を拡大
世界史での大きな区切り5世紀後半〜843年ヴェルダン条約で西・中・東フランクに分かれるまで
広い意味の継承843年以後も続く西フランク王国、東フランク王国などとして後のフランス・ドイツ方面へつながる

つまり、「フランク王国は843年に完全に消えた」と単純に覚えるより、843年に大きく三分割され、以後は西フランク・中部フランク・東フランクの流れへ移ったと理解する方が正確です。

現在のどこにあたるのか

フランク王国は、時代によって領域が大きく変わりました。

初期の中心は、現在の北フランス、ベルギー、西ドイツ方面です。クローヴィスの時代にはガリアで勢力を広げ、カール大帝の時代には西ヨーロッパの広い範囲を支配しました。

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時期現在の地名での目安注意点
初期北フランス、ベルギー、西ドイツ方面フランク人の活動範囲が中心
クローヴィスの時代ガリア北部から南部へ拡大西ゴート人を南へ退け、ガリア支配を強めた
カール大帝の時代フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、北イタリアなどに関係現在の国境とは一致しない
843年以後西フランク、東フランク、中部フランクへ分かれる後のフランス・ドイツ方面の政治的分化につながる

大切なのは、フランク王国を現在の一つの国にそのまま置き換えないことです。現在のフランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、スイス、北イタリアなどにまたがる歴史的な支配圏として見る必要があります。

起源はフランク人

フランク王国の起源は、ゲルマン系のフランク人にあります。

フランク人は、もともとライン川下流域の東岸に住んでいたゲルマン語系の人々として歴史に現れました。西ローマ帝国の衰退期にガリアへ進出し、しだいに政治的なまとまりを強めます。

ブリタニカは、フランク人が3世紀にライン川下流域の東岸に住むゲルマン部族として記録に現れ、5世紀には西ローマ帝国へ入り、北フランス・ベルギー・西ドイツ方面を支配したと説明しています。

クローヴィスとメロヴィング朝

フランク王国の成立を考えるうえで重要なのが、クローヴィスです。

クローヴィスは5世紀末から6世紀初めにかけて活躍したフランク王で、メロヴィング朝の重要人物です。ブリタニカのヨーロッパ史の解説では、クローヴィスが現在の北フランスとベルギー南西部にあたる地域で強い独立王権を築き、南ガリアへ拡大して西ゴート人をピレネー山脈の向こうへ押しやったと説明されています。

クローヴィスの改宗も重要です。フランク王国は、キリスト教、特にローマ教会との結びつきを強めることで、ガリアのローマ系住民や教会勢力との関係を築きやすくなりました。

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ポイント説明
フランク人の統一クローヴィスがフランク諸集団をまとめ、王権を強めた
ガリア支配ローマ帝国衰退後のガリアで勢力を拡大した
キリスト教改宗ローマ教会との関係を強め、支配の正統性を高めた
メロヴィング朝クローヴィスの王朝。のちにカロリング朝へ交代する

カロリング朝とカール大帝

メロヴィング朝の後、フランク王国の中心となったのがカロリング朝です。

カロリング朝では、カール・マルテル、ピピン3世、そしてカール大帝が重要です。ピピン3世はメロヴィング朝の王を退けて王位につき、カロリング朝を開きました。カール大帝はフランク王国を大きく拡大し、768年から814年まで王として支配しました。

ブリタニカは、カール大帝がガリアのほぼ全域、ドイツやイタリア方面へフランク勢力を拡大し、800年にローマで皇帝として戴冠されたことを説明しています。これにより、フランク王国は西ヨーロッパのキリスト教世界の中心的な政治勢力になりました。

また、カール大帝の時代にはカロリング朝ルネサンスと呼ばれる学問・教育・写本文化の振興も進みました。

なぜ分裂したのか

フランク王国が分裂した大きな理由は、相続の考え方と王族間の争いです。

フランク王国では、王の死後に領土を子どもたちで分ける慣習が強く残っていました。広大な王国を一人の王が維持することは難しく、王族間の争いも起こりやすくなります。

カール大帝の子ルートヴィヒ1世敬虔王の死後、その息子たちが後継をめぐって争いました。この争いを整理したのが843年のヴェルダン条約です。

ヴェルダン条約と三分割

843年のヴェルダン条約で、フランク王国は西フランク王国・中部フランク王国・東フランク王国に分けられました。

ブリタニカは、ヴェルダン条約をカール大帝の帝国解体の第一段階と説明し、後の西ヨーロッパ諸国の形成を予告する出来事として位置づけています。ただし、843年に近代国家としてのフランスやドイツが成立したわけではありません。

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分割後の王国支配者後の関係
西フランク王国シャルル2世後のフランス方面につながる
中部フランク王国ロタール1世ロタリンギア・ブルグント・イタリア方面へ分裂しやすい
東フランク王国ルートヴィヒ2世後のドイツ王国・神聖ローマ帝国につながる

その後、870年のメルセン条約で、ロタリンギアを中心とする中部フランク系の領土が東西フランクに再分割されました。

フランク王国とフランス・ドイツの関係

フランク王国は、後のフランスとドイツの形成を考えるうえで重要です。

西フランク王国は後のフランス王国へつながり、東フランク王国は後のドイツ王国や神聖ローマ帝国へつながります。中部フランク王国は地理的に不安定で、ロタリンギアやイタリア方面などへ再編されました。

ただし、フランク王国から現在のフランスやドイツが一直線に成立したわけではありません。フランク王国の分裂は、後の西ヨーロッパの政治的分化を理解するための重要な出発点です。

世界史上の意味

フランク王国の世界史上の意味は、西ローマ帝国崩壊後の西ヨーロッパで、ゲルマン系王国とローマ・キリスト教文化を結びつけたことです。

クローヴィスの改宗によって、フランク王国はローマ教会との関係を深めました。カール大帝の時代には、西ヨーロッパの広い地域を統合し、800年の皇帝戴冠によってローマ帝国理念の復活とも関係します。

その後、ヴェルダン条約で王国が分裂したことで、西フランク・東フランクという分かれ方が後のフランス・ドイツ方面の歴史へつながりました。フランク王国は、中世ヨーロッパを理解する入口になる王国です。

年表で見るフランク王国

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出来事ポイント
3世紀フランク人が記録に現れるライン川下流域のゲルマン系集団として登場
481年ごろクローヴィスが王となるフランク人統一の重要な起点
496年ごろクローヴィスがキリスト教へ改宗ローマ教会との結びつきが強まる
511年クローヴィス死去王国は息子たちに分割される
732年トゥール・ポワティエ間の戦いカール・マルテルがウマイヤ朝軍を撃退
751年ピピン3世が王となるカロリング朝が始まる
768年カール大帝が王となるフランク王国の拡大が進む
800年カール大帝が皇帝戴冠西ヨーロッパのキリスト教世界の中心的勢力へ
814年カール大帝死去ルートヴィヒ1世が継承
843年ヴェルダン条約フランク王国が西・中・東に三分割
870年メルセン条約ロタリンギアを東西フランクで再分割

世界史での覚え方

フランク王国は、次の流れで覚えると整理しやすいです。

「フランク人 → クローヴィス → カロリング朝 → カール大帝 → ヴェルダン条約で三分割」

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覚えるポイント内容
起源ゲルマン系のフランク人
成立の重要人物クローヴィス
王朝メロヴィング朝からカロリング朝へ
最盛期カール大帝
分裂843年のヴェルダン条約
後の関係西フランクはフランス方面、東フランクはドイツ方面

関連用語

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用語関係
フランク人フランク王国を築いたゲルマン系の人々
クローヴィスフランク人を統一し、メロヴィング朝の王国を強めた人物
メロヴィング朝クローヴィスを出した初期フランク王国の王朝
カロリング朝ピピン3世、カール大帝を出した王朝
カール大帝フランク王国を大きく拡大し、800年に皇帝戴冠した人物
カロリング朝ルネサンスカール大帝の時代を中心とする学問・文化の振興
ヴェルダン条約843年にフランク王国を三分割した条約
東フランク王国後のドイツ方面につながる王国
メルセン条約870年にロタリンギアを東西フランクで再分割した条約
神聖ローマ帝国東フランク王国・ドイツ王国の流れと関係する帝国

よくある質問

フランク王国とは何ですか?

ゲルマン系のフランク人がガリア地方を中心に築いた中世ヨーロッパの王国です。クローヴィスの統一、カール大帝の拡大、843年のヴェルダン条約による三分割が重要です。

フランク王国はいつからいつまでですか?

学習上は、5世紀後半のクローヴィスの時代から843年のヴェルダン条約までを大きな区切りとして覚えるとよいです。ただし、843年以後も西フランク王国や東フランク王国として流れは続きました。

フランク王国は現在のどこですか?

初期は北フランス、ベルギー、西ドイツ方面が中心です。カール大帝の時代には、現在のフランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、北イタリアなどに関係する広い支配圏になりました。

フランク王国を作った人は誰ですか?

重要な起点となる人物はクローヴィスです。クローヴィスはフランク人をまとめ、ガリアで勢力を拡大し、キリスト教へ改宗しました。

フランク王国はなぜ分裂したのですか?

王の死後に領土を子どもたちで分ける慣習と、王族間の後継争いが大きな理由です。843年のヴェルダン条約で西フランク・中部フランク・東フランクに三分割されました。

確認問題

最後に、フランク王国のポイントを確認しましょう。

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問題答え
フランク王国を築いたゲルマン系の人々は?フランク人
フランク王国成立の重要人物は?クローヴィス
クローヴィスの王朝は?メロヴィング朝
ピピン3世やカール大帝の王朝は?カロリング朝
フランク王国の最盛期の王は?カール大帝
カール大帝が皇帝として戴冠された年は?800年
フランク王国を三分割した843年の条約は?ヴェルダン条約
後のドイツ方面につながる王国は?東フランク王国

参考文献・参考資料

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