このページでは、世界遺産に登録されているパキスタンの考古遺跡「モヘンジョダロ」についてご紹介します。
モヘンジョダロは、インダス文明が栄えた頃に建設された都市遺跡で、規模や先進性から考古学界において大きな注目を集めている。
しかし、謎多き遺跡と知られており、いまだに解明されていないことが多い。
そのため、歴史的背景や特徴、発掘史、そして現在の情報を交えながら、深く掘り下げていく。
モヘンジョダロとは?文明と歴史的背景
インダス文明が栄えた都市遺跡の一つ。
モヘンジョダロという言葉は「死者の丘」を意味している。
当時の世界で先進的な都市であったとされ、場所は現在のパキスタン南部に位置。
インダス文明は、紀元前2,500年から紀元前1,500年頃までインダス川流域(現在のインド、パキスタン、アフガニスタン)において発展した文明で、古代のエジプト文明やメソポタミア文明と同時期に存在していた。
モヘンジョダロの遺跡は、1920年代に発見され、世界的に注目を集めるようになった。
1980年に世界遺産に登録され、世界中から多くの観光客や研究者が訪れている。
美しい石造りの建物や壁画、彫刻などは、当時の文化や技術の面影を今に伝える重要な遺産となっている。
また、インダス川上流のパンジャーブ地方にはハラッパー遺跡もある。
モヘンジョダロが注目されている理由
理由①:インダス文明の中でも特に精巧な都市計画を持っている
インダス文明の中でも特に精巧な都市計画を持ち、広大な土地に数多くの建物が建設されていた。
その中には、市街地や宮殿、神殿、住宅、浴場、墓地などが含まれていたとされている。
また、水利施設や排水路も整備されており、衛生面でも優れていた。
理由②:高度な技術が使われていた
石造りの建物や道路、排水路、水道など、高度な技術が使われていたことがわかっており、当時の技術力の高さについての証拠となっている。
理由③:未だに謎が多い滅亡の原因
どのように滅亡したのかは、未だに謎が多いまま。
水不足や気候変動、侵略や戦争など、様々な説がありますが、はっきりとした原因は不明。
モヘンジョダロの遺跡の特徴と構造
広大な土地に市街地や宮殿、神殿、住宅、浴場、墓地などが建設され、水利施設や排水路も整備されていた。
優れた都市計画の構造
市街地は東西南北に整然と整備され、区画ごとに住宅や商業施設が配置されていた。
また、排水路が整備も進んでおり、市街地のすべての住宅から汚水を排出することができた。
市街地の周囲には壁が建設され、不法侵入を防いでいた。
当時の世界では優れたものであった。
宮殿や神殿の存在
宮殿は、広い敷地に建設され、壁には彫刻や絵画が描かれていた。
神殿は、中央に祭壇があり、周囲に神聖なエリアが設けられていた。
住宅の構造
住宅が多数存在し、屋根の上に階段があることが特徴。
また、一部の住宅には浴室があり、当時のインダス文明の人々が水浴を行っていたことがうかがえる。
モヘンジョダロの発掘史と発見された遺物
1922年
インダス川河岸丘陵から何層にも重なった都市遺跡が発掘された。
周囲約9.6kmに及ぶ広大な円形の地域に、家屋・直線的な街路・大浴場などの公共施設と思われる建造物が並んでいることがわかった。
家屋はレンガで造られ、それぞれに便所、浴場、井戸を備えていた。
1924年
貨幣や刻印された印章、珍しい彫刻、陶器、宝石などが発掘された。
1930年代以降
広大な都市計画や多くの建物、水道、排水路などが次々に発掘された。
モヘンジョダロの文化と社会
宗教
宗教的な信仰については、まだはっきりとは分かっていない。
ただ、発見された彫刻や遺物から、人々が動物や植物を信仰していた可能性があると指摘されている。
なお、ヨガや瞑想などの精神的な実践が行われていた。
芸術
象徴的な彫刻や繊細な装飾などがある。
独特の装飾性を持つ陶器や宝石も発見されており、高度な芸術技術が存在していたことが明らかになっている。
言語
まだ解読されていない。
しかし、刻印された印章や銘板から独自の文字が存在していたことが分かっている。
商業
古代インドの交易路の中心地の一つであり、交易によって栄えた。
発掘された遺物から、穀物や織物、宝石、貨幣などが交易品として取引されていたことが分かっている。
農業
インダス川の恵みによって農業が盛んに行われていた。
発掘された遺物から、麦や米、豆、野菜などが栽培されていたことが分かっている。
また、都市内には水道が整備されており、灌漑や水田農業が行われていた。
モヘンジョダロの謎
未だに解明されていない謎が多く存在している。
代表的なものは以下のとおり。
文字の解読
モヘンジョダロで使われていた文字は、現在も解読されていない。
文字の解読ができれば、インダス文明の歴史や社会制度、宗教的信仰などについて詳しく知ることができる可能性がある。
衛生面の謎
都市計画や水道などが整備されていたことが分かっているが、なぜこの文明が消滅したのか?その原因についてはまだ謎が多い。
この都市で病気が蔓延したのか?自然災害によって壊滅したのか?人類の進化によって衰退したのか?など様々な説が提唱されている。
社会的構造
社会的構造は、はっきりとは分かっていない。
都市国家や王朝制度を持っていたのか、貴族階級や奴隷制度が存在したのか、などの疑問が残っている。
活字文化の欠如
文字が未だに解読されていないことから、活字文化が存在していなかったのではないか?という説が提唱されている。
もしそうなら、なぜこのような高度な文明が活字文化を持たなかったのか?という謎が残る。
モヘンジョダロの行き方とツアー情報
最寄りの都市はラーホール。
ラーホールからは飛行機またはバスで移動できる。
また、インドからもアムリトサルからのバスや列車でアクセス可能。
個人でも行けなくはないが、現地ツアーを利用するのが一般的。
ツアーには、専門のガイドが同行し、遺跡や博物館の見学だけでなく、周辺の風景や文化に触れることができるプランもある。
モヘンジョダロを訪れる際の注意点
炎天下での観光となるため、夏場は熱中症にならないように、帽子や日焼け止め、十分な水分を持参すること。
モヘンジョダロ周辺には、マラリアやデング熱などの蚊媒介病が流行しているため、蚊よけスプレーや蚊帳を持参すること。
モヘンジョダロの遺跡は保存のため、一部エリアに立ち入り禁止区域があるため、ガイドの指示に従い、安全に見学すること。
遺跡内での写真撮影は可能だが、一部エリアでは撮影が禁止されているため、注意が必要。