ピピン3世とは?カロリング朝・ピピンの寄進を解説

ピピンとは、世界史では主にピピン3世、つまり小ピピンのことを指します。ピピン3世はフランク王国メロヴィング朝を終わらせ、751年にカロリング朝の最初の王となった人物です。

ピピン3世は、カール・マルテルの子であり、カール大帝の父です。また、教皇との関係を深め、ピピンの寄進によって教皇領成立の土台を作ったことでも重要です。

この記事では、ピピンとは誰か、ピピン3世と小ピピンの違い、カロリング朝成立、ピピンの寄進、カール大帝との関係をわかりやすく整理します。

もくじ

まず一言でいうと

ピピン3世は、751年にメロヴィング朝を退けてカロリング朝を開いたフランク王国の王で、カール大帝の父です。

項目内容
人物ピピン3世
別名小ピピン、ピピン短躯王、Pippin the Short
生没年714年頃〜768年
立場フランク王国の王
王朝カロリング朝
カール・マルテル
カール大帝、カールマン
重要事件カロリング朝成立、ピピンの寄進

ピピンは何をした人か

ピピン3世がしたことは、大きく三つあります。

功績内容
カロリング朝を開いた751年、最後のメロヴィング朝の王キルデリク3世を退け、自ら王となった
教皇と結んだローマ教皇の支持を受け、王権の正当性を強めた
ピピンの寄進を行ったランゴバルド人から得たイタリア中部の土地を教皇へ与え、教皇領の基礎を作った

つまりピピン3世は、フランク王国の王朝交代と、教皇権・西ヨーロッパ政治の関係を考えるうえで重要な人物です。

ピピン3世と小ピピン

世界史で「ピピン」とだけ出てくる場合、文脈によって複数の人物を指すことがあります。

とくに重要なのは、ピピン3世です。日本語では小ピピン、またはピピン短躯王とも呼ばれます。カロリング朝を開いた王で、カール大帝の父にあたります。

名前説明
ピピン1世カロリング家の初期の有力者。大ピピンと呼ばれることがある
ピピン2世フランク王国の宮宰として力を持った人物。中ピピンとも呼ばれる
ピピン3世小ピピン。751年に王となり、カロリング朝を開いた人物

高校世界史やフランク王国の流れで最も重要なのは、ピピン3世です。

カール・マルテルとの関係

ピピン3世の父は、カール・マルテルです。

カール・マルテルは、メロヴィング朝の時代に宮宰として実権を握った人物で、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで知られています。ただし、カール・マルテル自身は王位につきませんでした。

父が築いた実力支配を、王位という形に変えたのがピピン3世です。つまり、カール・マルテルが作った政治・軍事の基盤を、ピピン3世がカロリング朝の王権へ発展させたと考えると整理しやすいです。

メロヴィング朝を終わらせた理由

ピピン3世が王となる前、フランク王国ではメロヴィング朝の王が形式上の君主でした。

しかし、実際の政治・軍事の力は宮宰を務めるカロリング家に移っていました。最後のメロヴィング朝の王キルデリク3世は、実権をほとんど持たない王でした。

そこでピピン3世は、教皇ザカリアスの支持を得て、751年にキルデリク3世を退け、自ら王となりました。これがカロリング朝の始まりです。

カロリング朝の成立

751年、ピピン3世はフランク王国の王となりました。これにより、フランク王国の王朝はメロヴィング朝からカロリング朝へ交代しました。

この王朝交代で重要なのは、ピピン3世が単なる武力による支配者ではなく、教皇の承認を得て王となった点です。ローマ教会の支持は、ピピン3世の王権に宗教的な正当性を与えました。

この流れは、のちにカール大帝が800年にローマで皇帝として戴冠される出来事へつながります。詳しくはカール大帝の戴冠の記事で整理しています。

ピピンの寄進とは

ピピン3世を理解するうえで重要なのが、ピピンの寄進です。

8世紀半ば、イタリアではランゴバルド人が勢力を広げ、ローマ教皇は保護を必要としていました。そこで教皇ステファヌス2世はフランク王国へ助けを求めます。

ピピン3世はイタリアへ遠征し、ランゴバルド人から奪った地域を教皇へ与えました。これがピピンの寄進と呼ばれ、のちの教皇領の基礎になりました。

項目内容
時期8世紀半ば
関係者ピピン3世、教皇ステファヌス2世、ランゴバルド人
内容イタリア中部の地域を教皇へ与えた
意味教皇領の基礎となり、フランク王国と教皇の同盟を強めた

ローマ教皇との関係

ピピン3世とローマ教皇の関係は、互いに利益がありました。

ピピン3世にとって、教皇の支持は王位の正当性を高めるものでした。一方、教皇にとって、フランク王国はランゴバルド人からローマを守るための重要な保護者でした。

この同盟は、ピピン3世の子カール大帝の時代にさらに強まります。800年、教皇レオ3世がカール大帝に冠を授けたことで、西ヨーロッパに新しい皇帝権の流れが生まれました。

カール大帝との関係

ピピン3世の子が、カール大帝です。

768年にピピン3世が死去すると、王国は子のカールとカールマンに分けられました。その後、カールマンが死去し、カールが単独でフランク王国を支配します。このカールが、後にカール大帝と呼ばれる人物です。

ピピン3世が作ったカロリング朝の王権、教皇との同盟、フランク王国の軍事力は、カール大帝の拡大政策と皇帝戴冠の前提になりました。

世界史上の意味

ピピン3世の世界史上の意味は、三つあります。

意味内容
王朝交代メロヴィング朝を終わらせ、カロリング朝を開いた
教皇との同盟ローマ教会の支持を得て、王権の正当性を強めた
教皇領の基礎ピピンの寄進により、教皇領成立の重要な前提を作った
カール大帝への橋渡しカール大帝の拡大と戴冠の前提となる政治基盤を作った

年表で見るピピン3世

出来事
714年頃ピピン3世が生まれる
741年父カール・マルテルが死去する
747年兄カールマンが修道院へ退き、ピピン3世の力が強まる
751年キルデリク3世を退け、ピピン3世が王となる。カロリング朝が始まる
754年教皇ステファヌス2世がピピン3世とその子らを塗油する
754〜756年ピピン3世がランゴバルド人に対してイタリア遠征を行う
756年頃ピピンの寄進により、教皇領の基礎が作られる
768年ピピン3世が死去し、子のカールとカールマンが王国を分ける
800年ピピン3世の子カール大帝がローマで皇帝として戴冠される

世界史での覚え方

ピピン3世は、カール・マルテルとカール大帝の間に置いて覚えると整理しやすいです。

覚えるポイント内容
カール・マルテル。宮宰として実権を握った
本人ピピン3世。751年に王となり、カロリング朝を開いた
カール大帝。800年に皇帝として戴冠された
重要語ピピンの寄進、教皇領、カロリング朝
注意点ピピン3世はカール大帝ではなく、カール大帝の父

関連用語

用語関係
カール・マルテルピピン3世の父。宮宰としてフランク王国の実権を握った
フランク王国ピピン3世が王となった王国
フランク人フランク王国を形成したゲルマン系の人々
メロヴィング朝ピピン3世が退けた王朝
カロリング朝ピピン3世が開いた王朝
ピピンの寄進ピピン3世が教皇へ土地を与えた出来事
ローマ教皇ピピン3世の王権と教皇領成立に深く関係する
カール大帝ピピン3世の子。フランク王国を大きく拡大した
レオ3世カール大帝に冠を授けたローマ教皇

よくある質問

ピピンとは誰ですか?

世界史では主にピピン3世、小ピピンを指します。751年にフランク王国の王となり、カロリング朝を開いた人物です。

ピピン3世は何をした人ですか?

メロヴィング朝を退けてカロリング朝を開き、ローマ教皇と結び、ピピンの寄進によって教皇領の基礎を作りました。

ピピン3世とカール大帝の関係は?

ピピン3世はカール大帝の父です。ピピン3世が作ったカロリング朝の王権を、カール大帝が大きく発展させました。

ピピンの寄進とは何ですか?

ピピン3世がイタリア中部の地域をローマ教皇へ与えた出来事です。のちの教皇領の基礎になりました。

ピピン3世はなぜ重要ですか?

メロヴィング朝からカロリング朝への王朝交代を実現し、教皇との同盟を強め、カール大帝の時代への土台を作ったからです。

確認問題

問題答え
ピピン3世が開いた王朝は何ですか?カロリング朝
ピピン3世が退けた王朝は何ですか?メロヴィング朝
ピピン3世の父は誰ですか?カール・マルテル
ピピン3世の子で、800年に皇帝として戴冠された人物は誰ですか?カール大帝
ピピン3世が教皇へ土地を与えた出来事を何といいますか?ピピンの寄進

参考文献・参考資料

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