コミンテルンとは?目的・解散理由・第三インターナショナルを解説

コミンテルンとは、1919年にモスクワで結成された国際共産主義組織です。正式には「共産主義インターナショナル」といい、第三インターナショナルとも呼ばれます。

世界史では、ロシア革命後にレーニンらがつくった、世界革命をめざす各国共産党の国際組織として覚えます。第二インターナショナルが第一次世界大戦で機能不全になった後、革命派が新たな国際組織として立ち上げました。

この記事では、コミンテルンの意味、目的、第三インターナショナルとの関係、第二インターナショナルとの違い、21カ条、解散理由をわかりやすく整理します。

もくじ

まず一言でいうと

コミンテルンは、世界各国の共産党を結び、ロシア革命を世界革命へ広げようとした国際組織です。

「コミンテルンとは?」と聞かれたら、「1919年にモスクワで結成された第三インターナショナルで、各国共産党を指導し、世界革命をめざした組織」と答えると整理しやすいです。

コミンテルンの基本情報

項目内容
名称コミンテルン
正式名称共産主義インターナショナル
別名第三インターナショナル
英語Communist International、Comintern
設立1919年
設立地モスクワ
中心人物レーニン、ボリシェヴィキ指導部など
目的世界革命、各国共産党の結集、資本主義体制の打倒
解散1943年

ブリタニカは、コミンテルンを1919年に設立された各国共産党の連合と説明し、当初は世界革命を掲げたが、しだいにソ連による国際共産主義運動統制の機関として機能したと整理しています。

第三インターナショナルとの関係

コミンテルンと第三インターナショナルは、基本的に同じものです。

「インターナショナル」とは、社会主義者や労働者運動の国際組織を指す言葉です。第一インターナショナル、第二インターナショナルに続く第三の国際組織として、コミンテルンは第三インターナショナルと呼ばれました。

呼び方意味
コミンテルン共産主義インターナショナルの略称
共産主義インターナショナル正式名称に近い日本語訳
第三インターナショナル第一・第二に続く三番目の国際組織という呼び方
CominternCommunist Internationalの略称

「国際共産党」という表現で検索されることもありますが、世界史用語としては「コミンテルン」「共産主義インターナショナル」「第三インターナショナル」と覚えるのが正確です。

なぜコミンテルンが作られたのか

コミンテルンが作られた背景には、第一次世界大戦とロシア革命があります。

第一次世界大戦前、社会主義政党や労働組合は第二インターナショナルを通じて国際連帯を掲げていました。しかし、1914年に戦争が始まると、多くの社会主義政党は自国政府を支持しました。これにより、国境をこえた反戦連帯は崩れ、革命派は第二インターナショナルを批判しました。

一方、1917年のロシア革命では、ボリシェヴィキが権力を握りました。レーニンらは、ロシア革命を一国だけで終わらせず、世界革命へ広げる必要があると考えます。そのために作られたのが、コミンテルンでした。

目的は何だったのか

コミンテルンの目的は、各国の共産主義運動を結集し、資本主義体制を倒して世界革命を進めることでした。

ただし、単なる思想交流の場ではありません。各国の共産党を組織し、方針を示し、国際的に共産主義運動を統一しようとした点に特徴があります。

目的内容
世界革命ロシア革命を各国へ広げ、国際的な共産主義革命をめざした
各国共産党の組織化社会主義政党内の革命派を共産党として結集しようとした
第二インターナショナル批判第一次世界大戦で戦争支持に回った社会主義政党を批判した
反帝国主義植民地・半植民地の民族解放運動にも働きかけた
ソビエト型革命の拡大労働者・農民による革命とソビエト型権力を理想とした

第二インターナショナルとの違い

コミンテルンは、第二インターナショナルの失敗を批判して成立しました。そのため、第二インターナショナルとの違いを押さえると理解しやすくなります。

比較第二インターナショナルコミンテルン
成立1889年1919年
中心地パリから始まる国際社会主義運動モスクワ
基盤社会主義政党・労働組合各国共産党
方針議会政治や労働運動も重視革命と共産党の組織的統一を重視
第一次世界大戦への評価多くの加盟政党が自国政府を支持し、機能不全に陥る第二インターナショナルを裏切りとして批判
組織の性格比較的ゆるやかな連合モスクワを中心とする強い統制を持つ国際組織

つまり、第二インターナショナルは社会主義政党の国際連携、コミンテルンは各国共産党を結びつける革命的国際組織と区別できます。

21カ条とは

コミンテルンで重要なのが、1920年の第2回大会で示された「21カ条」です。これは、コミンテルンに参加する政党が満たすべき条件を定めたものです。

ブリタニカは、この21カ条について、加盟政党にソ連型の規律ある組織形態を求め、穏健な社会主義者や平和主義者を排除する条件だったと説明しています。

21カ条は、コミンテルンが単なるゆるい国際連合ではなく、各国共産党に強い組織規律を求めたことを示しています。ここで重要になるのが、党内で議論した後は決定に従う「民主集中制」と呼ばれる組織原理です。

コミンテルンは何をしたのか

コミンテルンは、各国の共産党を結び、革命戦略を共有し、国際会議を通じて方針を示しました。

初期には、ドイツやハンガリーなどヨーロッパの革命運動、アジアの民族解放運動、中国共産党など各地域の共産主義運動に影響を与えました。また、植民地・半植民地の民族運動を重視した点も特徴です。

活動内容
国際大会各国代表を集め、革命方針や加盟条件を議論した
各国共産党の組織化社会主義政党内の革命派を共産党へ再編しようとした
政治方針の提示統一戦線、反ファシズム、人民戦線など時期ごとに方針を示した
反帝国主義植民地・半植民地の民族解放運動に働きかけた
宣伝・教育出版物や教育機関を通じて共産主義運動を広げた

ソ連との関係

コミンテルンは当初、世界革命を掲げる国際組織でした。しかし、しだいにソ連の影響が強くなります。

本部がモスクワにあり、ロシア革命の成功が大きな権威を持っていたため、各国共産党はソ連の方針を重視するようになりました。レーニンの死後、スターリン体制が固まると、コミンテルンはソ連の外交政策や安全保障上の利害と強く結びつきます。

このため、コミンテルンは「世界革命の国際組織」であると同時に、「ソ連が各国共産党に影響を及ぼす仕組み」でもありました。この二面性が、コミンテルンを理解するうえで重要です。

人民戦線への転換

1930年代になると、ヨーロッパでファシズムが台頭します。特にナチス・ドイツの成立は、国際共産主義運動にとって大きな衝撃でした。

コミンテルンは1935年の第7回大会で、反ファシズムの人民戦線路線を打ち出しました。これは、共産党だけでなく、社会主義者、自由主義者、労働組合など広い勢力と協力してファシズムに対抗する方針です。

初期のコミンテルンが急進的な革命を重視したのに対し、1930年代には反ファシズムのための広い連携が重視されるようになりました。

なぜ解散したのか

コミンテルンは1943年に解散しました。直接の背景は、第二次世界大戦中の国際情勢です。

1941年にドイツがソ連へ侵攻すると、ソ連はイギリスやアメリカと協力してナチス・ドイツと戦う必要がありました。しかし、コミンテルンは各国の革命運動を指導する組織と見られていたため、連合国側に警戒される可能性がありました。

公式には、各国共産党が成長し、単一の国際指導機関を必要としなくなったことが解散理由とされました。一方で、歴史的には、スターリンが英米など連合国との協調を進めるため、コミンテルンを解散したと理解されることが多いです。

解散理由説明
公式理由各国共産党が成熟し、中央指導機関が不要になったとされた
国際情勢第二次世界大戦中、ソ連は英米など連合国との協力を重視した
外交上の配慮ソ連が各国革命を指導しているという警戒を弱める狙いがあった
実態の変化戦時下でコミンテルンの国際的な指導機能は弱まっていた

コミンフォルムとの違い

コミンテルンと混同しやすい用語に、コミンフォルムがあります。

コミンフォルムは、1947年にソ連の主導で設立された共産党情報局です。ブリタニカは、コミンフォルムを1947年に設立され1956年に解散した国際共産主義の機関で、実際には国際革命の組織というよりソ連政策の道具として機能したと説明しています。

比較コミンテルンコミンフォルム
成立1919年1947年
正式名共産主義インターナショナル共産党情報局
時代ロシア革命後から第二次世界大戦中冷戦初期
性格各国共産党を結ぶ国際組織欧州共産党間の情報・連携機関
解散1943年1956年

世界史上の意味

コミンテルンの世界史上の意味は、ロシア革命後の共産主義運動を国際組織としてまとめ、20世紀の政治に大きな影響を与えたことです。

第一インターナショナルが国際労働運動の先駆、第二インターナショナルが社会主義政党と労働組合の国際連携だったのに対し、コミンテルンは各国共産党を結ぶ革命的国際組織でした。

また、コミンテルンは、国際労働運動社会主義運動、植民地の民族運動、冷戦前史をつなぐ重要な用語です。単に「共産主義の国際組織」と覚えるだけでなく、「第二インターナショナルの崩壊後に、ロシア革命を背景に成立した第三インターナショナル」と位置づけると理解しやすくなります。

年表で見るコミンテルン

出来事ポイント
1848年共産党宣言労働者の国際的団結が訴えられる
1864年第一インターナショナル結成国際労働者協会が成立
1889年第二インターナショナル結成社会主義政党・労働組合の国際組織が成立
1914年第一次世界大戦第二インターナショナルが機能不全になる
1917年ロシア革命ボリシェヴィキが権力を握る
1919年コミンテルン結成モスクワで第三インターナショナルが成立
1920年第2回大会加盟条件として21カ条が示される
1935年第7回大会反ファシズムの人民戦線路線が重視される
1943年コミンテルン解散第二次世界大戦中、連合国との協調も背景に解散
1947年コミンフォルム設立冷戦初期の共産党情報局

世界史での覚え方

コミンテルンは、次の形で覚えると整理しやすいです。

「コミンテルン=1919年モスクワ、レーニン、第三インターナショナル、世界革命、21カ条、1943年解散」

第一・第二・第三を並べると、第一は「1864年ロンドンの国際労働者協会」、第二は「1889年パリの社会主義政党・労働組合」、第三は「1919年モスクワのコミンテルン」と覚えると混同しにくいです。

関連用語

用語関係
第二インターナショナル第一次世界大戦で機能不全になり、コミンテルン成立の背景になった
第一インターナショナル国際労働運動の先駆となった国際労働者協会
国際労働運動コミンテルンを含む労働者・社会主義者の国際連帯の流れ
社会主義運動コミンテルンが生まれた広い政治運動の文脈
レーニンコミンテルン成立を主導したボリシェヴィキの指導者
ボリシェヴィキロシア革命で権力を握り、コミンテルン成立の中心になった勢力
ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキとメンシェヴィキの分裂を理解する関連語
マルクス共産主義運動の理論的源流
共産党宣言労働者の国際的団結を訴えた文書
科学的社会主義マルクス主義の理論的基盤
修正主義第二インターナショナル内部の改良主義的潮流を理解する関連語
メーデー国際労働運動と第二インターナショナルに関わる労働者の日

よくある質問

コミンテルンとは何ですか?

1919年にモスクワで結成された国際共産主義組織です。正式には共産主義インターナショナルといい、第三インターナショナルとも呼ばれます。

コミンテルンの目的は何ですか?

各国の共産党を結び、ロシア革命を世界革命へ広げることです。資本主義体制の打倒、共産主義運動の統一、植民地・半植民地の民族解放も重要な目的でした。

第三インターナショナルとコミンテルンは同じですか?

基本的に同じです。コミンテルンは共産主義インターナショナルの略称で、第一・第二に続く第三インターナショナルとして位置づけられます。

第二インターナショナルとの違いは?

第二インターナショナルは社会主義政党や労働組合の国際連携でした。コミンテルンは各国共産党を結ぶ革命的国際組織で、モスクワを中心に強い組織規律を求めた点が違います。

コミンテルンはなぜ解散したのですか?

公式には各国共産党が成熟し、中央指導機関が不要になったためとされました。歴史的には、第二次世界大戦中にソ連が英米など連合国との協調を進めるため、警戒を和らげる狙いもあったと理解されます。

コミンフォルムとは違いますか?

違います。コミンテルンは1919年に成立した第三インターナショナルで、1943年に解散しました。コミンフォルムは1947年に設立された共産党情報局で、冷戦初期のソ連主導の連携機関です。

確認問題

最後に、コミンテルンのポイントを確認しましょう。

問題答え
コミンテルンの正式名称は?共産主義インターナショナル
別名は?第三インターナショナル
成立年は?1919年
成立地は?モスクワ
成立を主導した人物は?レーニン
加盟条件として有名なものは?21カ条
コミンテルンが批判した国際組織は?第二インターナショナル
解散年は?1943年
1947年に設立された後継的な情報機関は?コミンフォルム

参考文献・参考資料

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