このページでは、ドラヴィダ人についてご紹介します。
ドラヴィダ人とは?
ドラヴィダ人の歴史
世界四大文明のひとつであるインダス文明を作り上げたのがドラヴィダ人。
しかし、気候変動により文明が崩壊。
この時、イラン高原から移住してきたアーリア人に押し出され、南インドへ移動。
南インドでサータヴァーハナ朝、チョーラ朝、パーンディヤ朝など、独自の文化を持つ国家を展開した。
インドに大きな南北間格差が生まれ、今日まで続いている。
ドラヴィダ人の言語
ドラヴィダ人は、ドラヴィダ語族に属する言語を母語とする民族。
インド・ヨーロッパ語族、インド・アーリア語族とは無関係。
ドラヴィダ人の現在
主に南インドに住んでおり、特にタミル語、カンナダ語、マラヤーラム語、テルグ語、トゥールー語を話す人々が多い。
なお、インド中部、スリランカ、バングラデシュ、パキスタン、イラン南西部、アフガニスタン南部、ネパールの一部にも居住している。
ブラフイ族
主にパキスタンのバロチスタン州に分布。
クルク族
インドとバングラデシュに分布。
バングラデシュでは唯一。
コンズ族
クイ語を話す部族。
主にインド東部のオリッサ州とアンドラ・プラデシュ州に分布。
ゴンド族
インド中央部に分布。
カンナディガ族
主にカルナータカ州とケララ州北部の一部に分布。
コダヴァ族
主にカルナータカ州のコダグ(クーグ)地方に分布。
ドラヴィダ人とアーリア人の違い
ドラヴィダ人は背が低い
ドラヴィダ人は、人類がアフリカを出てインドに居住した先住民族。
背が低いが手足が長く、肌の色が黒く、縮毛なのが特徴。
カラフルなヒンドゥー寺院はドラヴィダ文化の象徴。
アーリア人流入後は被支配者層に。
言語はドラヴィダ語族の言語(タミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語、トゥル語、トーダ語、コータ語など)
アーリア人は背が高い
アーリア人は、イラン北部からインドに移住し、背が高く、色が白いのが特徴。
祖先を崇拝する原始宗教を発展させバラモン教を形成してカースト制度を作った支配者層。
言語はヒンディー語。
ドラヴィダ人と日本の歴史
数千年の間にアーリア人と何度も争いがあったとされるが、ドラヴィダ人は避けるために海外へ脱出。
紀元前に出雲に辿り着き、出雲族とされている説があるが、4世紀に熊野に流れ着いたドラヴィダ人の一人が「裸形上人」だという説もある。
ドラヴィダ人の「裸形上人」は、熊野三山にある青岸渡寺や補陀落山寺を開山したとされている。
また、那智大滝で修行を積み、瀧壷で八寸の観音菩薩を感得したが、今に伝えられている修験道となった。
「超訳古事記」などで知られる作家鎌田東二によると「修験道=アーユルヴェーダ」としている。
ドラヴィダ人とアーユルヴェーダ
ドラヴィダ人の「裸形上人」がインド式の「行」と共に日本に伝えたのが、世界最古の医療「アーユルヴェーダ」だったのだ。
アーユルヴェーダが生まれたのは5000年前。
ヒマラヤ北部のアーリア人を避け、アガスティアが南下し、南インドのタミル・ナードゥでシッダ医学とミックスされて作られたものだ。