米英戦争(1812年戦争)とは、1812年6月18日にアメリカ合衆国がイギリスへ宣戦して始まり、1814年12月24日のガン条約で終わった戦争です。アメリカ第4代大統領マディソンのもとで始まり、海上での通商妨害や船員の強制徴募をめぐる対立が引き金になりました。
世界史では、この戦争をナポレオン戦争の余波として押さえるのが基本です。イギリスはフランスとの戦いのなかで中立国アメリカの貿易を制限し、アメリカ商船から船員を奪いました。これに、西部での先住民問題と、戦争を望む「ウォーホークス」の動きが重なって開戦に至ります。
「どっちが勝ったのか」という問いには、注意が必要です。ガン条約は領土の変更を認めず、戦前の状態に戻す内容でした。つまり勝敗は引き分けに近いものでした。それでもアメリカでは「第二次独立戦争」と呼ばれ、国民意識を高めた戦争として記憶されます。一方で、イギリスの支援を失った先住民が最大の敗者になりました。
まず一言でいうと
米英戦争は、アメリカとイギリスが1812年から1815年まで戦った戦争です。通商の自由と主権をめぐる争いであり、決定的な勝者はいませんでしたが、アメリカの国家意識を固めた点に意味があります。
| 名称 | 米英戦争(1812年戦争) |
|---|---|
| 英語名 | War of 1812 |
| 期間 | 1812年6月18日(宣戦)〜1815年2月17日(批准書交換) |
| 当事国 | アメリカ合衆国 対 イギリス(および同盟した先住民勢力) |
| 主な原因 | 船員の強制徴募、枢密院令による通商制限、英の先住民支援、ウォーホークスの拡張論 |
| 講和条約 | ガン条約(1814年12月24日、ベルギーのガン) |
| 結果 | 戦前の状態へ復帰。領土変更なし。実質は引き分け |
| 別称 | 第二次独立戦争 |
米英戦争とは何か
米英戦争は、独立から約30年後の若いアメリカが、かつての宗主国イギリスと再び戦った戦争です。アメリカ独立戦争で政治的独立を勝ち取ったアメリカが、今度は通商と航行の自由、そして国家としての対等な立場を守れるかが問われました。
背景には、ヨーロッパでの大戦争があります。イギリスはナポレオンのフランスと総力戦を続けており、その海上封鎖政策が中立国アメリカの貿易を直撃しました。米英戦争は、ヨーロッパの戦争が大西洋を越えてアメリカ大陸に波及した戦争だといえます。
いつ・どこで起きたか
戦争は1812年6月18日、アメリカ議会の宣戦布告で始まりました。戦場は、五大湖周辺とカナダ国境、大西洋岸、そしてメキシコ湾のニューオーリンズまで広がります。海上では大西洋全域でイギリス海軍とアメリカ海軍が衝突しました。
終結は1814年12月24日のガン条約です。ただし当時は通信に時間がかかり、条約成立の知らせがアメリカに届く前の1815年1月8日に、ニューオーリンズの戦いが起きました。戦争が正式に終わったのは、アメリカ上院が条約を批准し、批准書を交換した1815年2月17日です。
なぜ起こったのか(原因)
原因は一つではありません。海上の通商問題、強制徴募、西部の先住民問題、国内の拡張論という四つの要素が積み重なって開戦に至りました。
| 原因 | 内容 | ポイント |
|---|---|---|
| 船員の強制徴募 | イギリス海軍がアメリカ商船から「脱走兵」として船員を連行した | 1807年のチェサピーク号事件が象徴。主権侵害として反英感情を強めた |
| 通商制限 | イギリスの枢密院令(1807年)が、フランスと貿易する中立船に許可を求めた | 大陸封鎖令と英の対抗策の板挟みで、アメリカ貿易が打撃を受けた |
| 先住民支援 | イギリスが西部の先住民勢力を支援していると疑われた | ショーニー族の指導者テカムセの連合と、アメリカの西部拡大が衝突した |
| ウォーホークス | 下院議長ヘンリー=クレイら主戦派が開戦を後押しした | 国家の名誉とカナダ方面への拡張をねらう声が強かった |
アメリカは開戦前にも対抗策をとっていました。1807年のエンバーゴ法で輸出を止めて圧力をかけようとしましたが、自国経済のほうが大きく傷つき、政策は失敗します。1811年のティッペカヌーの戦いで先住民勢力と衝突したことも、開戦への流れを速めました。
歴史の皮肉として知られる点があります。イギリスは開戦直前の1812年6月に、争点だった枢密院令の撤回を決めていました。しかしその知らせが大西洋を越える前にアメリカは宣戦しており、戦争は避けられませんでした。
戦争の経過(主な戦い)
序盤、アメリカはカナダ侵攻をねらいましたが、準備不足で失敗します。海上ではフリゲート艦「コンスティチューション」などが個別の海戦で活躍し、国民の士気を支えました。1813年にはデトロイトを奪い返し、テカムセが戦死して先住民連合は崩れます。
1814年、ナポレオンが一時退位するとイギリスは兵力をアメリカへ回せるようになり、戦況は厳しくなりました。8月24日にはイギリス軍が首都ワシントンを焼き、大統領官邸と議事堂が炎上します。しかし9月11日のプラッツバーグの戦いでアメリカが勝ち、イギリスの北方からの侵攻は止まりました。同じころボルティモアのフォート・マクヘンリー防衛も成功し、このときの光景が後の国歌「星条旗」を生みました。
戦争の最後を飾ったのが、1815年1月8日のニューオーリンズの戦いです。アンドリュー=ジャクソンの指揮するアメリカ軍がイギリス軍に大勝しました。すでにガン条約は調印されていましたが、その知らせが届く前の戦闘だったため、この勝利はアメリカ国内に「戦争に勝った」という記憶を強く残しました。
どっちが勝ったのか(結果)
軍事的には引き分けです。ガン条約は戦前の状態に戻す内容で、どちらの領土も変わりませんでした。争点だった強制徴募や中立国の権利も、条約では正面から解決されていません。
それでも、戦争の意味は当事者ごとに大きく異なります。アメリカは独立国としての自信を深め、「第二次独立戦争」と呼びました。イギリスはナポレオン戦争を終えるほうを優先し、アメリカとの戦争を早く切り上げました。そして、イギリスの支援を失った先住民は組織的な抵抗の足場を失い、もっとも大きな打撃を受けました。
ナポレオン戦争との関係
米英戦争を理解する鍵は、同時期のナポレオン戦争です。イギリスはフランスを経済的に締め上げるため、中立国の貿易まで規制しました。アメリカはイギリスとフランス双方の封鎖策の板挟みになり、貿易の自由を守るためにイギリスへ宣戦します。
逆にいえば、イギリスがアメリカに深入りしなかったのも、ヨーロッパの戦争を抱えていたからです。ナポレオンとの決着を優先したイギリスは、アメリカと早期に講和する道を選びました。米英戦争は、ヨーロッパの覇権争いとアメリカの自立が交差した戦争だといえます。
世界史上の意味
米英戦争のあと、アメリカは政治的にも経済的にも自立を強めました。戦争中に輸入が止まったことで国内産業が育ち、ニューイングランドの繊維業などが成長します。国民意識が高まった時期は「好感情の時代」と呼ばれました。
対外的には、ヨーロッパへの不干渉と相互不干渉を掲げるモンロー教書(1823年)へとつながります。西部では先住民の抵抗が弱まり、ルイジアナ買収後の拡大や、のちのマニフェスト・デスティニーによる西進を後押ししました。アメリカとイギリスの国境が大きな戦争なしに画定していく出発点にもなりました。
年表
| 年月 | できごと |
|---|---|
| 1807年 | チェサピーク号事件。イギリスの枢密院令とエンバーゴ法で対立が深まる |
| 1811年 | ティッペカヌーの戦い。西部で先住民勢力と衝突 |
| 1812年6月18日 | アメリカがイギリスへ宣戦布告 |
| 1813年 | デトロイト奪回。テカムセ戦死で先住民連合が崩壊 |
| 1814年8月24日 | イギリス軍がワシントンを焼き討ち |
| 1814年9月11日 | プラッツバーグの戦いでアメリカが勝利。フォート・マクヘンリー防衛も成功 |
| 1814年12月24日 | ガン条約調印。戦前の状態に復帰 |
| 1815年1月8日 | ニューオーリンズの戦い。ジャクソンが大勝(条約調印後) |
| 1815年2月17日 | 批准書交換。戦争が正式に終結 |
関連用語
- ナポレオン戦争: 米英戦争の背景となったヨーロッパの大戦争。海上封鎖が通商問題を生んだ。
- 大陸封鎖令: ナポレオンの対英経済封鎖。英の対抗策と合わせて中立国貿易を圧迫した。
- アメリカ独立戦争: 政治的独立を勝ち取った戦争。米英戦争は「第二次独立戦争」と呼ばれる。
- アンドリュー=ジャクソン: ニューオーリンズの戦いの英雄。のちの第7代大統領。
- モンロー教書: 戦後の自立した外交を示した宣言(1823年)。
- ルイジアナ買収: 戦争前後の西部拡大を支えた領土取得。
- マニフェスト・デスティニー: 後年の西進を正当化した拡張思想。
試験で押さえるポイント
- 米英戦争は1812年に開戦し、1814年のガン条約で終わった。
- 背景はナポレオン戦争で、海上封鎖と強制徴募が直接の原因。
- 当時の大統領はマディソン、主戦派はウォーホークス(ヘンリー=クレイ)。
- ガン条約は戦前の状態へ復帰し、領土変更はない。
- ニューオーリンズの戦い(1815年1月)は講和条約の調印後に戦われた。
- 勝敗は引き分けだが、アメリカは「第二次独立戦争」と位置づけた。
- 最大の敗者は、英の支援を失った先住民勢力。
よくある質問
米英戦争とは何ですか?
1812年から1815年まで、アメリカとイギリスが戦った戦争です。海上での通商妨害や船員の強制徴募をめぐる対立が原因で、ガン条約によって戦前の状態に戻る形で終わりました。
米英戦争はどっちが勝ったのですか?
決定的な勝者はいません。ガン条約は領土を戦前の状態に戻し、どちらの領土も変わりませんでした。ただしアメリカは国民意識を高め、「第二次独立戦争」と呼びました。
米英戦争はなぜ起こったのですか?
イギリスの通商制限と船員の強制徴募が直接の引き金です。これに西部の先住民問題と、開戦を望むウォーホークスの動きが重なりました。背景にはナポレオン戦争があります。
米英戦争とアメリカ独立戦争の違いは何ですか?
独立戦争(1775〜1783年)はアメリカが政治的独立を勝ち取った戦争です。米英戦争(1812〜1815年)は、独立後の通商の自由と主権をめぐる戦いで、「第二次独立戦争」と呼ばれます。
ニューオーリンズの戦いはなぜ有名なのですか?
1815年1月8日にジャクソンが大勝した戦いだからです。すでにガン条約は調印されていましたが、その知らせが届く前の戦闘でした。この勝利が、アメリカ国内に「戦争に勝った」という記憶を強く残しました。
確認問題
- Q1. 米英戦争が始まった年を答えよ。
答え: 1812年。 - Q2. 米英戦争を終わらせた講和条約は何か。
答え: ガン条約(1814年)。 - Q3. 開戦の背景となったヨーロッパの戦争は何か。
答え: ナポレオン戦争。 - Q4. ニューオーリンズの戦いでアメリカ軍を率いた人物は誰か。
答え: アンドリュー=ジャクソン。 - Q5. 米英戦争でもっとも大きな打撃を受けた勢力は何か。
答え: イギリスの支援を失った先住民勢力。
参考文献・参考資料
- Encyclopaedia Britannica, War of 1812
- Encyclopaedia Britannica, Treaty of Ghent
- The Avalon Project, Yale Law School, Treaty of Ghent; 1814
- Library of Congress, The War of 1812
