私は時折、もし歴史にさまざまな可能性があったとしたら、今のロシアという国が存在しない世界もあったのではないのか、と考えることがあります。
しかし、それが必ずしも良い結果をもたらすとは限らないとも感じています。
歴史の流れには、私たちがまだ理解しきれていない複雑な要因が絡んでおり、それを単純に良いか悪いかで判断するのは簡単にできるものではありません。
特に、1921年にイギリスがソビエト連邦と結んだ英ソ通商協定は、そのような可能性の分岐点の一つだったのではないでしょうか。
この協定がなければ、ソビエト連邦が存続せず、今のロシアという国も存在していなかったかもしれません。
協定がソビエト連邦の短期的な復興を支えた一方で、それが長期的に世界へどのような影響をもたらしたのかを振り返ることは、現代の私たちにとっても重要な課題です。
英ソ通商協定は、イギリスとソビエト連邦の両国に何を齎したのかを解説していきます。
そして、その後の歴史の中でどのような影響をもたらしたのかを振り返りながら、その選択が本当に正しかったのかを一緒に考えていきたいと思います。
英ソ通商協定とは?— その背景と目的
1921年に締結された英ソ通商協定は、イギリスとソビエト連邦の間で交わされた貿易協定です。
協定の内容は、ソビエトがイギリスに原材料を供給し、イギリスがソビエトに工業製品を提供するというものでした。
これにより、戦争後に混乱していた両国の経済が少しずつ回復していきました。
協定が結ばれる前のイギリスとソビエトの関係
第一次世界大戦後、イギリスとソビエト連邦は一時的に外交関係を断絶していました。
1917年のロシア革命で共産主義政権が成立し、イギリスをはじめとする西側諸国はソビエトとの外交を避ける姿勢を取っていたのです。
特に、イギリスは共産主義を脅威と見なし、ロシア内戦にも介入していました。
そのため、この協定は、両国の冷え切った関係を経済的な協力で少しずつ修復しようとする最初の試みでした。
イギリスの狙い—経済回復と安定を求めて
イギリスが協定を結んだ理由は、お金と安定です。
- 経済的な理由
イギリスは第一次世界大戦で大きなダメージを受けており、早く経済を回復する必要がありました。
ソビエト連邦から木材や農産物を手に入れ、自分たちの工業製品を売ることで経済を回そうと考えていたのです。
- 政治的な理由
貿易を通じて、ソビエトが他国に共産主義の影響を広げるのを防ぐ意図がありました。
ソビエトの狙い—国を立て直すために
ソビエト連邦側にも、主に経済的な復興と国際的な立場の強化にありました。
- 経済的な理由
ロシア革命や内戦で、ソビエト連邦の経済は壊滅的なまでにボロボロでした。
特に工業製品が不足していたため、イギリスから物を買って、国を立て直すための助けを得ようとしていました。
- 国際社会での立場を強化
ソビエト連邦は国際社会での孤立という問題にも直面していました。
共産主義を掲げるソビエトはほとんどの国と外交関係を持っていませんでした。イギリスとの協定は、国際的な承認を得るための最初のステップでもありました。
これにより、他の国々との貿易や外交関係を少しずつ再構築するチャンスを得たのです。
世界に広がった英ソ通商協定の波紋:外交と経済への影響
英ソ通商協定が結ばれていた当時、ソビエトはポーランドとの戦争中で、国内も混乱していました。
そんな中、イギリスとの協定はソビエトにとって必要な物資を手に入れる大きなチャンスでした。
では、この協定が世界にどのような影響を与えたのでしょうか?
ソビエト連邦の存続を助けた協定
ソビエト連邦は、革命と内戦の影響で疲弊し、戦争を続ける力も限られていました。
この協定のおかげで、ソビエトはイギリスから物資を調達し、なんとか政権を維持することができました。
もしこの協定がなければ、ポーランドとの戦争は早く終わっていたかもしれませんし、ソビエト政府自体が倒れていた可能性もあります。
イギリスへの批判と経済的な必要性
イギリスがこの協定を結んだことに対して、他の国々はどう思ったのでしょうか?
当時、共産主義は嫌われていたため、イギリスがソビエト連邦と手を組むことは批判の対象になりかねませんでした。
特に、ポーランドとの戦争がまだ続いている中での協定は、イギリスの立場を難しくしたかもしれません。
それでも、イギリスにとってはこの協定が経済を回復させるための重要な選択でした。
戦争でダメージを受けたイギリス経済にとって、ソビエトからの資源供給は大きな意味があったのです。
外交関係の再構築と世界の反応
この協定によって、ソビエト連邦は国際的な孤立を脱する第一歩を踏み出しました。
それまで、ソビエトはほとんどの国と外交関係が途絶していましたが、イギリスとの協定により少しずつ国際社会に戻るきっかけができました。
一方で、他の国々はこの協定をどう見ていたのか?
イギリスに続いて他の国々もソビエトとの関係を再構築し始めましたが、共産主義に対する不安や反発は残っていたため、各国の対応は複雑でした。
英ソ通商協定は正しい選択だったのか?その後の世界への影響
英ソ通商協定は、短期的にはソビエト連邦とイギリスの双方に経済的な利益をもたらしました。
しかし、この協定が長期的に見て本当に正しい選択だったのかを考えると、答えは一筋縄ではいきません。
ソビエト連邦の強化と共産主義の拡大
ソビエト連邦はこの協定によって、経済的に息を吹き返し、政権の安定を維持することができました。
この結果、共産主義の体制はしっかりと根付くこととなり、後に冷戦の始まりにも繋がっていきました。
もし協定が結ばれていなかったら、ソビエト連邦が存続できず、共産主義が広がることもなかったかもしれません。
つまり、冷戦の火種をこの協定が提供した可能性もあります。
イギリスと西側諸国の立場
イギリスにとって、この協定は経済的利益を短期的に得るためのものとして重要でしたが、長期的に見れば、イギリスや西側諸国に対する共産主義の台頭を許した選択と見ることもできます。
後に冷戦が激化し、ソビエト連邦との対立が深まる中で、この協定が共産主義勢力を助けたという批判もあり得るでしょう。
結果的に正しい選択だったのか?
この協定によって、ソビエト連邦は強化され、共産主義体制が拡大しましたが、その反面で世界に新たな緊張と対立の時代をもたらしました。
このため、協定が結ばれたことが短期的には成功であった一方で、長期的な影響は非常に複雑です。
まとめ
- 英ソ通商協定とは?— その背景と目的
- 世界に広がった英ソ通商協定の波紋:外交と経済への影響
- 英ソ通商協定は正しい選択だったのか?その後の世界への影響
これは私の妄想ですが、もし英ソ通商協定が締結されていなかった場合、ソビエト連邦は存続できず、現在のロシアという国は存在していなかったかも、と考えてしまいます。
その場合、ウクライナ問題やアフガニスタンのようなロシア絡みの紛争もなかった可能性があります。
しかし、ロシアがいなければ、アメリカが世界の中で唯一の強大な力として支配的な存在になっていたでしょう。
その結果、アメリカ一国による支配的な影響力が広がり、一極支配の体制が続いた可能性も考えられます。
しかし、そんな世界が本当に公正で安定したものになっていたかというと、私はそうは思いません。
結局のところ、英ソ通商協定は短期的にソビエト連邦の復興を助け、世界に多極的な勢力の均衡をもたらしました。
これにより、冷戦という時代を生み出しましたが、それが結果的にアメリカ一国による独裁的な支配を防ぎ、世界全体のバランスを取る役割も果たしたと言えるのではないでしょうか。
この協定が、良かったかどうかは一概には言えませんが、その影響は現代にも深く残っていると感じます。