このページでは、ストックホルム・アピールについてご紹介します。
ストックホルム・アピールとは?
米軍が日本の広島・長崎へ原子爆弾で爆撃し、世界に衝撃を与えた未曾有の破壊行為から5年後。
1950年に、スウェーデンのストックホルムで開かれた世界平和評議会(WPC)で、下記の核兵器廃絶に向けてのアピールを採択。
英語全文
We demand the outlawing of atomic weapons as instruments of intimidation and mass murder of peoples.
wikipedia
We demand strict international control to enforce this measure.
We believe than any other government which first uses atomic weapons against any other country whatsoever will be committing a crime against humanity and should be dealt with as a war criminal.
We call on all men and women of goodwill throughout the world to sign the appeal.
日本語要約
- 原子兵器の無条件使用禁止
- 原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現
- 原子兵器を使用した政府を人類に対する犯罪者とみなす
そして、各国に国内平和委員会の設立を勧告。
ストックホルム・アピールへの署名運動
WPCの初代会長であるフレデリック・ジョリオ・キュリーは、初の国際キャンペーン「ストックホルム・アピール」を開始した。
開始後2週間で、150万人がストックホルム・アピールに署名。
1950年7月14日には、72カ国、2億人以上の人々が賛同。
その中には、ソビエト連邦の全成人人口も含まれていた。
しかし、国際的な支持を得たにもかかわらず、ストックホルム・アピールは結局、アメリカによって「ソ連の偽りの『平和攻勢』におけるプロパガンダのトリック」と見なされてしまった。
朝鮮戦争、ドイツの再軍事化、ヨーロッパにおけるさらなる紛争の火種を背景に、WPCは1950年代を通して核軍縮と不拡散を唱え続けた。
1955年 核兵器の破棄と製造停止を要求
1955年には、ウィーンで開催された大会で「核戦争準備に対するアピール」を行い、核兵器の全ストックの破棄と製造の即時停止を要求。
しかし、第二次世界大戦が終結し、広島と長崎に原爆が投下されてから10年も経たないうちに、核戦争の恐怖はヨーロッパと世界の人々に長い影を落とし続けた。
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