ソヴィエト政権の誕生。大国ソヴィエトの誕生とその影響を考える。

北の大国、世界一の領土を誇る国【ロシア連邦】遡ることおよそ30年前、とある国家が崩壊し、その後に誕生した国だということはご存じでしたか。

中国とともに話題にあがることの多い【ロシア連邦】に影響を与えた国それが【ソヴィエト社会主義共和国連邦】です。

世界初の社会主義国家であり、現在のロシア連邦の前身にあたるソヴィエト連邦は第二次世界大戦を経て、アメリカ合衆国と並ぶ大国になっていきます。

約70年間の政権運営を経て、社会主義経済が停滞を招いて行き詰ってしまい、それがきっかけとなり連邦は解体され、ソヴィエト連邦は崩壊してしまいました。

ソヴィエト政権の歴史と背景、社会主義国家としてどのように国を運営していったのか、そしてその影響はどのように広がっていったのか。

世界で初めて生まれた社会主義国家【ソヴィエト連邦】。
今や大国となったロシアの原点ではないかと私は考えます。

ソヴィエト連邦が生まれた理由とその内容を知ることで、新たな視点で世界をみることができるのではないでしょうか。

もくじ

ソヴィエト政権 ~ソヴィエト連邦が生まれた背景~

1914年に始まった第一次世界大戦。
ロシアも戦争に参加することになりました。

そして、戦争中にかかる費用の高騰、さらには戦争の長期化によって生産力が大きく低下し、深刻なインフレに見舞われ、その結果自国の力を大きく消耗することになりました。 

そしてロシア国民生活はどんどん疲弊していきました。

さらに戦時下の食糧や物資の欠乏は徐々に深刻化することになり都市部でも飢餓状態に陥ることになりました。

この経済的な破綻と社会の混乱によって、ロシア国民の不満は高まっていきました。

 そして1917年2月。食糧配給の行列からデモが発生し、これが革命の火付け役となりました。

ロシア帝国による専制体制に対する反発が爆発したのです。
このデモの事を2月革命と呼びます。

国民の不安が国家を変える力に変わる。
個人的な意見となりますが、現代では【革命】なんてことばは成立しないように思えます。

様々な過去を経て、ようやく世界は少なからず豊かで良い方向に変わっていったということなのではないかと私は考えます。

ソヴィエト政権 ~ボリシェヴィキと臨時政府の対立~

2月革命の成功により、ロシア帝国ロマノフ王朝は崩壊しました。

しかし革命勢力内部には、温和な立場の【臨時政府】と、急進的な【ボリシェヴィキ】の対立があり、いずれが次の政権を担うかが問題となりました。

臨時政府とはロシア自由主義勢力が結成した暫定的な政府のこと。
資本主義体制の継続を主張していました。

また、ボリシェヴィキとはマルクス主義の社会革命を掲げる急進的な革命団体の1つで、主導者であるレーニンの主張を推し進めました。

臨時政府は旧体制を完全に維持しようとしていたわけではなく急激な変革を避けつつ新しい民主主義的な体制を作ろうとしていました。

そして、ボリシェヴィキは社会主義革命と旧体制の排除を目論んでいました。

よってこの2つの勢力は次第に対立を深めることとなり、ついに1917年10月、レーニン率いるボリシェヴィキがいよいよ武力による実力行使に打って出ることになりました。

この武力行使の結果、ボリシェヴィキはついに実権を掌握する機会を得ました。

そして11月にはロシア帝国のロマノフ王朝から完全に決別し、全く新しい社会主義国家ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国の樹立を宣言したのです。

国民は保守ではなく改革を選んだという結果に至り、主導者レーニンによって世界初の社会主義国家が生まれました。

ソヴィエト政権 ~世界初の社会主義国家~

新生ソヴィエト政権は、マルクス主義の理念に基づき、徹底した社会主義体制の構築を目指しました。

マルクス主義とは、カール・マルクスが唱えた思想で、資本主義社会には搾取と格差の矛盾が存在すると指摘し、資本主義社会的な考え方を否定し、富は公平に分配するべきだという平等な社会(共産主義社会)を実現するべきだという考え方です。

ソヴィエト政権の経済運営においては、中央政府が全ての生産から分配に至るプロセスを細かく計画し、徹底的な統制を敷くという中央集権的な計画経済システムが整備されることになりました。

ボリシェヴィキ→共産党が唯一の合法的な政党として機能し、全ての政治活動を統制しました。
党の指導部が国家の全ての意思決定に関与し、強力な中央集権体制が敷かれました。

この体制は、安定した政権運営を可能にしましたが、同時に政治的な自由を制限しました
ソヴィエト政権の社会主義政策は、国民に対して深遠な影響を与えました。

経済的には工業化と都市化が進み、ゆくゆくはアメリカ合衆国とならぶ大国へと至る礎にもなりましたが一方では、農業政策の失敗による飢饉や経済の非効率化が問題視されます。

社会的には教育と医療の普及により生活水準が向上しましたが、政治的な抑圧や自由の制限が国民の生活に大きな影を落としました。

このように、ソヴィエト政権の政策は一長一短を持ちながらも約70年間もの間、大国ソヴィエト連邦を支えることとなります。

資本主義社会への対抗策として生まれた世界初の社会主義国家だったソヴィエト連邦ですが、最終的には国民生活に複雑な影響を及ぼすこととなり、その不満やストレスはソヴィエト連邦の崩壊、社会主義国家の衰退に繋がっていくことになります。

人間が豊かさを増してくると、社会主義国家というシステムは徐々に合わなくなってくるのかもしれません。

しかし社会主義は確実に世界の歴史に良い意味でも、悪い意味でも爪あとをしっかり残し、その事実は現在の政権運営などに少なからず影響を与えているはずです。

ソヴィエト政権 ~まとめ~

  • ソヴィエト政権 ~ソヴィエト連邦が生まれた背景~
    • 第一次世界大戦という特殊な時代背景と、ロシア帝国の国家運営がたちゆかず、国民のストレスがついに【革命】が起こってしまった。
  • ソヴィエト政権 ~ボリシェヴィキと臨時政府の対立~
    • 革命後、中心人物でもあった【レーニン】によって、ボリシェヴィキ党が徐々に勢力を強めていく。
    • 旧体制から生まれた臨時政府との二重政治は国民、国家をさらに貶める。
    • その結果世界初の社会主義国家「ソヴィエト連邦」は誕生した。
  • ソヴィエト政権 ~世界初の社会主義国家~
    • 社会主義の理念をベースにソビエト連邦は独自の発展をすることになります。
    • 経済成長と技術開発の向上の裏では、飢餓や貧困など社会的な格差が生まれ、徐々に国民の不満はおおきくなり、その負の感情がソヴィエト連邦の崩壊へと繋がった。

革命から始まったソヴィエト政権。
初めて世界で社会主義国家を立ち上げるパワー。

新しい仕組みに挑戦する姿勢は素晴らしいと私は考えます。
そして、社会主義による政権運営によって大きく発展した国としてある意味良い結果を残せたのだと思います。

例えば、現在の宇宙開発よる技術があるのも、ソヴィエト政権における社会主義システムの中でうまれた1つの功績なのではないでしょうか。

今ではもう古くなった社会システムかもしれませんが、良かった面も悪かった面も含めて多角的に捉えられる柔軟な目と心を養いたいものです。

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