第二インターナショナルとは、1889年にパリで結成された、各国の社会主義政党や労働組合の国際組織です。世界史では、第一インターナショナルの後に生まれた国際的な社会主義・労働運動の連合として覚えます。
第2インターナショナルとも表記されます。「第二次インターナショナル」と検索されることもありますが、世界史用語としては「第二インターナショナル」が一般的です。
重要なのは、メーデーの普及、八時間労働や労働者保護の主張、そして第一次世界大戦で各国の社会主義政党が自国政府を支持したことで国際連帯が崩れた点です。
この記事では、第二インターナショナルがいつ・どこで結成されたのか、目的は何か、第一インターナショナルとの違い、第一次世界大戦でなぜ分裂したのかをわかりやすく整理します。
まず一言でいうと
第二インターナショナルは、19世紀末から第一次世界大戦前まで、各国の社会主義政党と労働組合をゆるやかに結びつけた国際組織です。
「第二インターナショナルとは?」と聞かれたら、「1889年にパリで結成された社会主義政党・労働組合の国際組織で、メーデーを国際的な労働者の日として広め、第一次世界大戦で機能不全になった組織」と答えると整理しやすいです。
第二インターナショナルの基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 第二インターナショナル、第2インターナショナル |
| 別名 | 社会主義インターナショナル |
| 結成年 | 1889年 |
| 結成地 | パリ |
| 基盤 | 各国の社会主義政党・労働組合 |
| 主な活動 | 労働者保護、八時間労働、メーデー、反戦、国際連携 |
| 転機 | 1914年の第一次世界大戦 |
| 世界史での位置づけ | 近代社会主義政党と国際労働運動を結びつけた組織 |
ブリタニカは、第二インターナショナルを、19世紀末から第一次世界大戦初期までヨーロッパ労働運動の思想・政策・方法に大きな影響を与えた、社会主義政党と労働組合の連合として説明しています。
いつ・どこで結成されたか
第二インターナショナルは、1889年にパリで開かれた国際社会主義者の大会をきっかけに結成されました。1889年はフランス革命から100年にあたる年でもあり、ヨーロッパの社会主義者や労働運動家が集まる象徴的な時期でした。
同じ1889年のパリでは、フランス社会主義運動内部の対立を背景に、複数の国際労働者大会が開かれました。第二インターナショナルの成立は、その時代に各国の社会主義政党が国境をこえて連携しようとした流れの中で理解できます。
世界史では、「1889年」「パリ」「社会主義政党・労働組合の国際組織」をセットで押さえるのが基本です。
結成の背景
第二インターナショナルの背景には、19世紀後半の社会主義運動と国際労働運動の発展があります。
産業革命後、ヨーロッパでは工場労働者が増え、長時間労働、低賃金、労働災害、社会保障の不足が大きな問題になりました。一方で、各国では労働組合や社会主義政党が成長し、議会政治の中で労働者の権利を主張する動きも強まりました。
| 背景 | 第二インターナショナルとの関係 |
|---|---|
| 産業革命後の労働問題 | 労働時間短縮や労働者保護が国際的な課題になった |
| 社会主義政党の成長 | 各国政党が国際会議で方針を共有する必要が生まれた |
| 労働組合運動の拡大 | 賃金・労働時間・労働条件の改善要求が広がった |
| 社会主義者鎮圧法などの弾圧 | 社会主義運動への警戒と弾圧が、国際連帯の必要性を高めた |
| ヨーロッパ列強の対立 | 戦争を防ぐ反戦運動が重要な課題になった |
第一インターナショナルとの違い
第二インターナショナルは、第一インターナショナルの後に登場した国際組織ですが、性格はかなり異なります。
第一インターナショナルは、1864年にロンドンで結成された国際労働者協会で、マルクス派、プルードン派、バクーニン系アナキストなど多様な思想潮流が集まりました。一方、第二インターナショナルは、各国で成長した社会主義政党や労働組合を基盤にした、より政党中心の国際組織でした。
| 比較 | 第一インターナショナル | 第二インターナショナル |
|---|---|---|
| 結成年 | 1864年 | 1889年 |
| 結成地 | ロンドン | パリ |
| 基盤 | 労働者団体、思想家、各思想潮流 | 社会主義政党、労働組合 |
| 組織の性格 | 比較的中央集権的な国際労働者協会 | 各国組織を結ぶゆるやかな連合 |
| 主な対立 | マルクス派とバクーニン派の対立 | 反戦・革命・議会政治をめぐる対立 |
| 終わり方 | 内部対立と衰退 | 第一次世界大戦で機能不全 |
ブリタニカも、第二インターナショナルは第一インターナショナルと違って中央集権的な組織ではなく、各国政党・労働組合を基盤としたゆるやかな連合だったと整理しています。
目的と活動
第二インターナショナルの目的は、各国の社会主義政党や労働組合を結び、労働者の権利拡大と社会主義運動の国際連携を進めることでした。
特に重視されたのは、八時間労働、労働者保護、普通選挙、議会政治への参加、軍備縮小、戦争反対などです。すべての方針を強制できる中央政府のような機関ではありませんでしたが、加盟政党にとって大きな道徳的権威を持ちました。
| 活動・主張 | 内容 |
|---|---|
| 八時間労働 | 長時間労働を制限し、労働者の生活を守る要求 |
| 労働者保護 | 労働条件、賃金、社会保障、労働災害などの改善 |
| メーデー | 5月1日を国際的な労働者の日として広める |
| 議会政治 | 社会主義政党が選挙や議会を通じて影響力を高める |
| 反戦・軍縮 | 列強間の戦争を防ぐため、軍備縮小や国際仲裁を主張 |
| 国際会議 | 各国代表が集まり、方針や運動の進め方を議論 |
メーデーとの関係
第二インターナショナルで特に有名なのが、メーデーとの関係です。
1889年、第二インターナショナルは、シカゴのヘイマーケット事件を記念し、5月1日を労働者の国際的な行動の日としました。これが、現在も多くの国で労働者の日として知られるメーデーの重要な起点です。
メーデーは単なる祝日ではなく、もともとは八時間労働や労働者の権利を求める国際的な示威行動と結びついていました。第二インターナショナルは、各国の労働者が同じ日に行動するという形で、国際連帯を見えるものにしました。
社会主義政党との関係
第二インターナショナルは、各国の社会主義政党と深く結びついていました。特にドイツ社会民主党のような大衆政党は、議会政治と労働運動を結びつける重要な存在でした。
この時代の社会主義運動は、マルクスやエンゲルスの思想を受け継ぎながらも、各国の政治制度に応じて発展しました。革命を重視する立場もあれば、選挙や議会を通じた改革を重視する立場もありました。
そのため、第二インターナショナル内部には、科学的社会主義や共産党宣言の影響を受けた革命的潮流と、議会政治を通じた社会改良を重視する潮流が並存していました。
修正主義論争と内部対立
第二インターナショナルでは、修正主義をめぐる論争も重要です。修正主義とは、マルクス主義の革命論をそのまま適用するのではなく、議会政治や社会改革を通じて社会主義へ近づく考え方を重視する立場です。
一方で、革命派は、資本主義社会の根本的な変革には階級闘争と革命が必要だと考えました。この違いは、単なる理論上の違いではありません。選挙で政権に近づくのか、労働者の直接行動や革命を重視するのかという、運動方針の違いにつながりました。
| 立場 | 重視した点 | 第二インターナショナル内での意味 |
|---|---|---|
| 革命派 | 階級闘争、革命、資本主義の根本変革 | マルクス主義の革命的側面を強調した |
| 修正主義・改良派 | 議会政治、社会改革、労働法制 | 社会民主主義的な発展と結びついた |
| 中間派 | 反戦や国際連帯を重視しつつ統一維持を目指す | 第一次世界大戦後の再建論にも関わった |
反戦運動とシュトゥットガルト大会
第二インターナショナルの大きな課題は、ヨーロッパ列強の対立が戦争へ進むことを防ぐことでした。1907年のシュトゥットガルト大会では、軍国主義と国際紛争に関する決議が採択され、戦争に反対する姿勢が示されました。
この決議では、戦争が起こりそうな場合、労働者階級とその議会代表が戦争を防ぐために努力すること、もし戦争が起きた場合には早期終結のために行動することが求められました。レーニン、ローザ・ルクセンブルク、マルトフらの修正案も関わったことで知られます。
しかし、実際に1914年に第一次世界大戦が始まると、各国の社会主義政党の多くは自国政府の戦争努力を支持しました。この点が、第二インターナショナルの最大の限界として語られます。
第一次世界大戦でなぜ崩れたのか
第二インターナショナルが機能不全になった最大の理由は、第一次世界大戦です。
社会主義運動は本来、国境をこえた労働者の連帯を重視しました。しかし、1914年に戦争が始まると、多くの社会主義政党は「自国防衛」や「国民的団結」を理由に、自国政府を支持しました。これにより、国際的な反戦連帯は大きく崩れました。
ブリタニカは、セルビアとロシアの社会主義者を例外として、多くの交戦国の社会主義政党が自国の戦争努力を支持したため、反戦原則をめぐって第二インターナショナルが分裂したと説明しています。
| 原因 | 内容 |
|---|---|
| 国家への帰属意識 | 国際連帯より自国防衛が優先されやすくなった |
| 議会政党化 | 社会主義政党が国内政治の一部となり、政府や世論の圧力を受けた |
| 反戦方針の弱さ | 戦争を防ぐ具体的手段を統一できなかった |
| 革命派との分裂 | 戦争を革命へ転化すべきだとする立場と、戦後再建を目指す立場が分かれた |
第三インターナショナルとの関係
第二インターナショナルの分裂は、のちの第三インターナショナル、つまりコミンテルンの成立につながります。
レーニンらは、第一次世界大戦で自国政府を支持した社会主義政党を批判しました。そして、ロシア革命後の1919年、モスクワで第三インターナショナルが結成されます。これは、ボリシェヴィキと国際共産主義運動の拡大と深く関係しました。
つまり、第二インターナショナルは、社会民主主義的な流れと共産主義的な流れが分かれていく前史として重要です。社会主義運動を「第一、第二、第三」の順で見ると、国際労働運動の変化がつかみやすくなります。
世界史上の意味
第二インターナショナルの世界史上の意味は、社会主義運動を大衆政党・労働組合・議会政治と結びつけ、国際的な枠組みにしたことです。
第一インターナショナルが思想潮流の幅広い連合だったのに対し、第二インターナショナルでは各国の社会主義政党が中心になりました。そのため、労働者の政治参加、労働法制、社会保障、普通選挙、反戦運動など、近代政治の現実的な課題と結びつきました。
| 意味 | 説明 |
|---|---|
| 社会主義政党の国際連携 | 各国政党・労働組合が国際的に方針を共有した |
| メーデーの普及 | 5月1日を労働者の国際的な行動日として広めた |
| 労働者保護の主張 | 八時間労働、社会保障、労働条件改善を掲げた |
| 反戦運動の限界 | 第一次世界大戦を止められず、国際連帯の弱さが露呈した |
| 社会民主主義と共産主義の分岐 | 戦後、社会主義運動が複数の方向へ分かれる前提になった |
年表で見る第二インターナショナル
| 年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1848年 | 共産党宣言 | マルクスとエンゲルスが労働者の国際的団結を訴える |
| 1864年 | 第一インターナショナル結成 | 国際労働者協会がロンドンで成立 |
| 1876年 | 第一インターナショナル解散 | マルクス派とバクーニン派の対立後に衰退 |
| 1889年 | 第二インターナショナル結成 | パリで社会主義政党・労働組合の国際組織が成立 |
| 1889年 | 5月1日を労働者の日へ | メーデーの国際的起点になる |
| 1896年 | ロンドン大会 | アナキストを排除し、議会政治を重視する方向が明確化 |
| 1907年 | シュトゥットガルト大会 | 軍国主義・戦争反対の決議を採択 |
| 1914年 | 第一次世界大戦 | 各国社会主義政党の戦争支持により機能不全 |
| 1919年 | 第三インターナショナル結成 | レーニンらの国際共産主義運動へ |
| 1923年 | 労働社会主義インターナショナル成立 | 第二インターナショナル系の流れが再編される |
世界史での覚え方
第二インターナショナルは、次の形で覚えると整理しやすいです。
「第二インターナショナル=1889年パリ、社会主義政党・労働組合、メーデー、反戦、第一次世界大戦で崩れる」
第一インターナショナルは「1864年ロンドン・国際労働者協会」、第二インターナショナルは「1889年パリ・社会主義政党と労働組合」、第三インターナショナルは「1919年モスクワ・コミンテルン」と並べると、混同しにくくなります。
関連用語
| 用語 | 関係 |
|---|---|
| 第一インターナショナル | 第二インターナショナルの前に存在した国際労働者協会 |
| 社会主義運動 | 第二インターナショナルを含む広い政治・社会運動 |
| 国際労働運動 | 労働者の国際連帯をめざす運動 |
| メーデー | 第二インターナショナルが国際的な労働者の日として広めた |
| 科学的社会主義 | マルクスとエンゲルスの社会主義理論 |
| 修正主義 | 議会政治や社会改革を重視する社会主義内の潮流 |
| ロシア社会民主労働党 | 第二インターナショナル期のロシア社会主義運動と関係 |
| レーニン | 第二インターナショナルを批判し、第三インターナショナルの流れに関わる |
| ボリシェヴィキ | ロシア革命と第三インターナショナルに関係する勢力 |
| イギリス労働党 | 労働者代表・社会民主主義政党の流れを理解する関連語 |
| アメリカ社会党 | 第二インターナショナル期の国際的社会主義政党の一つ |
| フランス社会党 | フランス社会主義運動と国際社会主義運動の関連語 |
よくある質問
第二インターナショナルとは何ですか?
1889年にパリで結成された、各国の社会主義政党や労働組合の国際組織です。メーデーの普及、労働者保護、反戦運動などで重要な役割を果たしました。
第二インターナショナルはいつ・どこで結成されましたか?
1889年にフランスのパリで結成されました。世界史では「1889年・パリ・社会主義政党と労働組合の国際組織」と覚えるとよいです。
第一インターナショナルとの違いは何ですか?
第一インターナショナルは1864年結成の国際労働者協会で、多様な思想潮流が集まった組織です。第二インターナショナルは1889年結成で、各国の社会主義政党と労働組合を基盤にした点が大きな違いです。
第二インターナショナルはメーデーと関係がありますか?
あります。1889年に第二インターナショナルが5月1日を労働者の国際的な行動の日としたことが、現在のメーデーの重要な起点になりました。
第二インターナショナルはなぜ崩れたのですか?
第一次世界大戦が始まると、多くの加盟政党が自国政府の戦争努力を支持し、国際的な反戦連帯が崩れたためです。この結果、第二インターナショナルは機能不全になりました。
第三インターナショナルとの関係は?
第三インターナショナルは、第一次世界大戦をめぐる第二インターナショナルの分裂後、1919年にレーニンらの流れから生まれた国際共産主義組織です。第二インターナショナルの限界への批判が背景にあります。
確認問題
最後に、第二インターナショナルのポイントを確認しましょう。
| 問題 | 答え |
|---|---|
| 第二インターナショナルが結成された年は? | 1889年 |
| 結成地は? | パリ |
| 基盤となった組織は? | 各国の社会主義政党・労働組合 |
| 第二インターナショナルが広めた労働者の日は? | メーデー |
| 第二インターナショナルが主張した労働時間の目標は? | 八時間労働 |
| 反戦方針が示された大会の一つは? | 1907年のシュトゥットガルト大会 |
| 機能不全の大きな原因は? | 第一次世界大戦で各国政党が自国政府を支持したこと |
| 1919年に成立した後続の国際共産主義組織は? | 第三インターナショナル、コミンテルン |
参考文献・参考資料
- Encyclopaedia Britannica, “Second International”
- Encyclopaedia Britannica, “First International”
- Encyclopaedia Britannica, “Third International”
- Encyclopaedia Britannica, “May Day”
- Encyclopaedia Britannica, “Haymarket Affair”
- Marxists Internet Archive, “The First Congress(es) of the Second International”
- Marxists Internet Archive, “Resolution adopted at the Seventh International Socialist Congress at Stuttgart”
