こんにちは!サイトーです。
私はいい大人になった今になって、
「世界史って実は最近のニュースを理解するためにも知っておいた方がよいのでは…?」
と気づき始めた超・超・駆け出し世界史勉強家です。
学生の頃は先生の話す単語がチンプンカンプンすぎて、授業中は常に船を漕いでおりました…
(この表現伝わりますかね?)。
なので、
「世界史のここを知りたい!」
「学生の時はダメダメだったけど、今になって勉強したい!」
と思っているそこのあなた!!一緒に勉強していきましょう!!
今回のテーマは【ロシア革命】と【反革命政権】です。
皆さんは【ロシア革命】についてどの程度ご存じでしょうか?
この記事を読めば、【ロシア革命】と【反革命政権】、またそれがどのように世界に影響していったのかについて知ることができます。
そもそも社会主義って、どんなに働いても意味がないとか、働く意欲がわかなそう…というイメージがありませんか?
それなのに、なぜソビエト連邦は社会主義を目指したのか?
社会主義ってメリットあるの?
ということについても考えていきたいと思います。
それではレッツスタディ☆
ロシア革命とは
ロシア革命とは、20世紀ロシアに起こった人民革命です。
ロシア帝国は1721年、大北方戦争に勝利したピョートルがモスクワ大公国を正式に帝国と宣言したことで成立した国です。
フィンランドの自治を認めつつ支配下に置き、ポーランドとカフカスを完全に占領し、東はシベリアから極東までを治めた広大な帝国でした。
経済的には国家主導で養成された鉄道や重機械工業、外国資本で発展した鉄鋼、石炭、石油業などが資本主義的な工業体系と、地主が馬や農具持参の農民を雇うという農奴制という構造が出稼ぎ労働者の低賃金によって結びついていました。
このような構造を持つロシア帝国は、1890年代には急テンポの経済成長を遂げました。
しかし20世紀に入ると、恐慌によって経済成長が停滞し、構造のひずみから様々な運動が噴出し始めたのです。
ロシア革命はロシア帝国で発生した一連の革命的出来事を指します。
この出来事は1905年の第1次革命と1917年の【二月革命】と【十月革命】に分けることができます。
この【十月革命】は、マルクス主義に基づく社会主義社会の実現を目指す政権を世界で初めて誕生させました。
また、ソビエト政権を樹立し、その後のソビエト連邦の誕生にもつながったため、この革命だけを指して【ロシア革命】と言うこともあります。
この時の政権を指導したのがウラジーミル・レーニンです。
レーニンは“貧富の差を解消し、全ての人々が平等に機会を持つ社会”を目指していました。
私有財産制度を廃止して工場や土地などの主要な生産手段は国家の管理下に置き、生産と分配を国によって管理しました。
また、教育や医療などの基本的なサービスは無償で提供されるべき、という考えも持っていました。
反革命政権とは
【反革命政権】は、旧帝国軍人などが中心となり各地に成立した政権を指し、ロシア革命によって権力を奪取した政権に対して抵抗していました。
ロシア革命側が【赤軍】と呼ばれたことに対して反革命政権は【白軍】と呼ばれました。
主な反革命政権には【コルチャーク政権】と【デニーキン政権】の二つが挙げられます。
コルチャーク政権
- 指導者:アレクサンドル・コルチャーク(元ロシア帝国軍提督)
- 目的 :革命政権の打倒とロシアの旧秩序の回復
- 歴史 :1918年11月、反革命勢力の支持を受けて白軍 を統率。
アメリカ、イギリス、日本などの外国勢力から経済的・軍事的支援を受けて進軍。しかし、様々な派閥や意見の相違のため一貫した政策を打ち出すことが難しく、また物資の不足やインフレーションによる経済的困難もあった。1920年初頭にかけてコルチャーク政権は赤軍に次第に追いつめられるようになり、間もなくコルチャークがチェコスロバキア軍団によって逮捕され、処刑された。
デニーキン政権
- 指導者:アントン・デニーキン(元ロシア帝国陸軍将軍)
- 目的 :革命政権の打倒とロシアの旧秩序の回復
- 歴史 :191 8年9月、南ロシアの反革命勢力の支持を受けて白軍を統率。
イギリス、フランス、アメリカなどの海外政府から支援を受けて進軍したが、政権内の内部対立や、強制徴兵・食料徴発政策が農民の反発を招き、白軍の支持基盤を弱めた。1919年後半から1920年初頭にかけ、赤軍の反撃によりデニーキン政権の勢力は急速に衰え、間もなくデニーキンは国外へ亡命した。
反革命政権と対ソ干渉戦争
前の項では、反革命政権について勉強してきました。
ここまでお読みになった皆さんは
「あれ?」
と思ったところがありましたよね?
そうです。
反革命政権はアメリカ、フランス、イギリスなどの海外政府から軍事的・経済的支援をうけていたということです。
諸外国は社会主義革命が自国に及ぶことを恐れて、ロシアに軍を派遣して革命の妨害を図りました。
これが対ソ干渉戦争です。
日本も7万を越える兵力を動員して、革命政権であるボリシェヴィキのゲリラ兵と交戦しました。
反革命政権の終焉
第一次世界大戦ではロシアとともに戦っていたイギリス・フランス・アメリカ・日本などの連合国でしたが、社会主義革命が自国に及ぶのを恐れて次々と反革命政権に軍事的・経済的支援を行いました。
窮地に陥ったソビエト連邦は、農民から強制的に穀物を没収して食料を配給制にしたり、工場の国営化を実行して労働を義務化したり、徴兵制を敷いたりして戦時共産主義の非常手段を取って革命防衛の闘いを展開しました。
それに対して反革命政権側の干渉軍は一部で戦争への嫌気がさしていたこと、ソビエトの労働者政府への共感もあって戦闘意慾は弱い状態にありました。
統率力も弱く、地域住民の支持も獲得することができずに潰走状態となり、結果、反革命政権側の干渉軍は1920年の春までに壊滅しました。
そして外国からの支援を受けられなくなった反革命政権は赤軍に敗北を重ねるようになり、1920年11月のペレコープ=チョーンガル作戦で敗れ、多くの兵・市民がフランスやアメリカなどへ亡命しました。
社会主義国家の前に資本主義国家は敗北したのです。
まとめ
- 【ロシア革命】とは、マルクス主義に基づく社会主義社会の実現を目指す政権が世界で初めて誕生した人民革命である。
- 【反革命政権】とは、ロシア革命によって権力を奪取した政権(ボリシェヴィキ)に対して抵抗する政権である。旧軍人などが指導し、各地に成立した。
- 反革命政権の目的はロシアの旧秩序を回復することであり、それは社会主義革命が自国に波及することを恐れた周辺国を巻き込んで対ソ干渉戦争へと発展した。
- 革命勢力は干渉勢力に対して「戦時共産主義」の非常手段を取って防衛し、それに対して反革命勢力は他諸国からの経済的・軍事的援助を受けて進軍したが、反革命政権の内部分裂や干渉軍の衰退により資本主義国家は敗北した。
ロシア帝国に住む庶民の貧困からロシア革命がおこり、それに旧軍人たちは【反革命政権】として諸外国を巻き込んで戦ったが、結局は革命政権の前に敗北したということです。
私はこの流れを勉強して、革命によってソビエト連邦が誕生したことが初めて分かりました。
人々の貧困から生まれたロシア革命。
社会主義社会は当時、苦しんでいた人々にとっても希望の星だったのかもしれません。
諸外国を巻き込んで抵抗してもそれを圧する力があったということは、革命政権側の
「世界を変えたい!平等に生きたい!」
という強い気持ちが勝った、ということなのかなと感じました。
みなさんはどんな印象でしたか?
それではまたお会いしましょう!