ノヴゴロド国とは?建国者・キエフ公国との違いを解説

ノヴゴロド国とは、中世のルーシ世界で、北西部の都市ノヴゴロドを中心に発展した都市国家・共和国的な政治体です。日本語ではノヴゴロド国、ノヴゴロド公国、ノヴゴロド共和国などと呼ばれます。

検索でよく出る「建国者」は少し注意が必要です。リューリクはノヴゴロド方面の支配伝承と結びつく人物ですが、ノヴゴロド共和国そのものを一人で建国した人物ではありません。共和国的な自立は、キエフの支配力が弱まった12世紀、特に1136年ごろから説明されます。

もくじ

まず一言でいうと

ノヴゴロド国は、キエフを中心とするキエフ公国とは別に、北方交易と都市自治を背景に強い独自性を持ったルーシの都市国家です。リューリク伝承の起点、ハンザ同盟との交易、ヴェーチェと呼ばれる民会、モスクワ大公国による1478年の併合が重要です。

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項目内容
主な呼び方ノヴゴロド国、ノヴゴロド公国、ノヴゴロド共和国
中心都市ノヴゴロド、現在のヴェリーキー・ノヴゴロド
位置ロシア北西部、ヴォルホフ川沿い、イリメニ湖の近く
時期都市としては9世紀から重要。共和国的な自立はおもに12世紀から1478年まで
伝承上の起点リューリクが862年ごろノヴゴロド方面に招かれたとする伝承
政治の特徴ヴェーチェ、ポサードニク、千人長、主教・大主教、招かれた公が関わる都市自治
経済の特徴毛皮、蝋、蜂蜜、木材などの交易。ハンザ商人との関係が深い
終わり1478年、イヴァン3世のモスクワ大公国に服属

ノヴゴロド国とノヴゴロド公国の違い

日本語では「ノヴゴロド国」と「ノヴゴロド公国」が混在します。どちらも同じ地域を説明するときに使われますが、強調点が違います。

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呼び方意味注意点
ノヴゴロド国日本の世界史学習で広く使われる呼び方都市国家としての独自性を説明しやすい
ノヴゴロド公国公を受け入れた政治体としての呼び方公はしだいに軍事指揮官に近い役割になり、世襲君主ではなかった
ノヴゴロド共和国英語の Novgorod Republic に近い呼び方現代の民主共和国とは違い、有力貴族・商人層の影響が大きかった
ヴェリーキー・ノヴゴロド現在の都市名ニジニ・ノヴゴロドとは別の都市
ノブゴロド検索上見られる表記ゆれ一般にはノヴゴロドと書く

この記事では、検索で使われやすい「ノヴゴロド国」を中心に使い、必要に応じて「共和国的な都市国家」と説明します。

キエフ公国との違い

ノヴゴロド国とキエフ公国は、どちらもルーシ世界に属します。ただし、中心地、政治構造、歴史上の役割が異なります。

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項目ノヴゴロド国キエフ公国
中心地北西部のノヴゴロドドニエプル川流域のキエフ
性格交易都市を中心にした共和国的な都市国家キエフ大公を中心にしたルーシの政治的中心
成立の説明リューリク伝承、北方交易、1136年以後の都市自治が重要オレグが882年ごろキエフを支配下に置いたことが重要
政治ヴェーチェ、有力貴族・商人、大主教、公が関わるキエフ大公とリューリク朝諸公の秩序が中心
経済毛皮、蝋、蜂蜜、木材、バルト海交易、ハンザ商人ドニエプル川交易、黒海、ビザンツ帝国との関係
モンゴル侵入直接の破壊は免れたが、金帳汗国の宗主権と貢納を認めた1240年のキエフ攻略で中心性が決定的に低下
終わり1478年、モスクワ大公国に服属13世紀に政治的中心として衰退

一言でいえば、キエフ公国はルーシ世界の南の中心、ノヴゴロド国は北の交易都市国家です。どちらもリューリク朝やルーシの歴史に関係しますが、同じ国家ではありません。

建国者は誰か

ノヴゴロド国の建国者を一人だけで答えるのは、かなり単純化になります。学習上は、次の三段階に分けると正確です。

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人物・時期位置づけ注意点
リューリク862年ごろ、ノヴゴロド方面に招かれたとされる伝承上の首長リューリク朝の起点として重要。ただし、共和国の建国者とは言い切れない
オレグノヴゴロド方面から南下し、882年ごろキエフを押さえた人物キエフ公国形成では重要だが、ノヴゴロド共和国の創設者ではない
1136年ごろの自立キエフの支配力低下のなかで、ノヴゴロドが公権力からの自立を強めた時期共和国的なノヴゴロド国の始まりとして説明されやすい

したがって、試験的に短く答えるなら「伝承上の起点はリューリク、共和国的な自立は1136年ごろ」と整理するのがよいです。

リューリク伝承とノヴゴロド

ブリタニカは、キエフ・ルーシの伝統的説明として、12世紀にキエフでまとめられた『原初年代記』に、ノヴゴロドの支配者オレグが882年にスモレンスクとキエフを押さえたとする流れがあると説明しています。

ここで重要なのは、リューリクやオレグの物語が、ノヴゴロドをルーシ国家形成の北方側の起点として位置づけていることです。北方系のヴァリャーグ、東スラヴ系・フィン系の在地社会、河川交易路が結びつき、ノヴゴロドとキエフがルーシ世界の二つの重要拠点になりました。

ただし、「ノルマン人がスラヴ人を征服してノヴゴロド国を建国した」とだけ書くと粗くなります。ヴァリャーグの軍事・交易ネットワークは重要ですが、都市と周辺社会を支えたのは在地のスラヴ系・フィン系住民、有力貴族、商人、教会勢力でした。

なぜ交易都市として栄えたのか

ノヴゴロドが栄えた理由は、地理にあります。ノヴゴロドはヴォルホフ川沿い、イリメニ湖の近くにあり、バルト海方面、ヴォルガ川方面、ビザンツ方面、内陸の森林地帯を結ぶ交通の要所でした。

ブリタニカは、ノヴゴロドが東ヨーロッパ最大級の交易中心の一つとして栄え、川のルートでバルト海、ビザンツ帝国、中央アジア、ヨーロッパ・ロシア各地と結ばれたと説明しています。北方の森林から得られる毛皮が繁栄の基礎でした。

この点で、ノヴゴロドは南のキエフとは違います。キエフはドニエプル川を軸に黒海・ビザンツ方面と結びついたのに対し、ノヴゴロドはバルト海・北方森林・ハンザ商人との関係で力を持ちました。

ハンザ同盟との関係

ノヴゴロド国の経済を理解するうえで、ハンザ同盟との関係は欠かせません。ハンザ同盟は、北海・バルト海交易で力を持ったドイツ系商人都市のネットワークです。

ハンザ同盟の公式サイトは、ノヴゴロド、ロンドン、ブリュージュ、ベルゲンの四つを主要な在外商館と説明しています。ノヴゴロドの商館は聖ペテロ商館と呼ばれ、ドイツ商人が長期滞在し、毛皮、蝋、蜂蜜、木材などを扱いました。

ブリタニカも、ノヴゴロドがハンザ交易のロシア方面への限界地であり、ハンザ商人との交易が大きかったと説明しています。1478年にモスクワがノヴゴロドを支配すると、バルト海交易の秩序も変化していきました。

政治の特徴

ノヴゴロド国は「共和国」と呼ばれますが、現代の民主国家とは違います。政治を動かしたのは、ヴェーチェと呼ばれる都市民会、有力貴族・商人、大主教、公、ポサードニク、千人長などでした。

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制度・役職役割注意点
ヴェーチェ都市の重要事項を扱った民会広い参加を持つ一方、実際には有力層の影響が大きかった
軍事指揮・防衛などを担った支配者ノヴゴロドでは世襲君主というより、招かれた軍事指導者に近い
ポサードニク都市行政を担う有力役職有力貴族層から選ばれた
千人長軍事・都市民組織に関わった役職商人・都市社会との関係も持つ
主教・大主教宗教権威であり、政治・財政にも影響ブリタニカは、1156年以後に大きな政治的役割を持ったと説明している
ボヤール有力貴族・大土地所有者共和国的制度の背後で強い影響力を持った

つまり、ノヴゴロド国は「民会があるから完全な民主制」でも、「公がいるから普通の君主国」でもありません。有力貴族・商人層の強い都市自治国家として見ると実態に近くなります。

モンゴル侵入とノヴゴロド

13世紀のモンゴル侵入では、キエフやウラジーミル・スーズダリなど多くのルーシ諸都市が大きな打撃を受けました。しかし、ノヴゴロドは直接の破壊を免れました。

ブリタニカは、ノヴゴロドが1238年から1240年のタタール侵入で破壊を避けた一方、タタールの宗主権を認めたと説明しています。Internet Encyclopedia of Ukraine も、ノヴゴロドは侵入を直接受けなかったが、金帳汗国の宗主権と貢納を認めざるを得なかったと整理しています。

このため、ノヴゴロドはキエフのように破壊されて政治的中心性を失うことはありませんでした。むしろ、北方交易や周辺地の開発によって一定の繁栄を続けました。ただし、完全に独立した安全地帯だったわけではなく、モンゴル支配の枠内で慎重に行動する必要がありました。

アレクサンドル・ネフスキーと西方の脅威

ノヴゴロド国でよく登場する人物が、アレクサンドル・ネフスキーです。彼はノヴゴロド公として、西方からのスウェーデン勢力やドイツ騎士団系勢力に対応しました。

ブリタニカは、1240年のネヴァ川の戦いでノヴゴロド軍がスウェーデン勢力を破り、アレクサンドルが「ネフスキー」の名を得たと説明しています。また、1242年にはチュド湖、つまりペイプシ湖の氷上でドイツ騎士団系勢力を退けました。

重要なのは、アレクサンドルが西方には軍事的に抵抗しつつ、東方のモンゴルには妥協したことです。これは単純な英雄譚ではなく、ノヴゴロドが西方カトリック勢力、バルト海交易、モンゴル宗主権の間で生き残るための現実的な外交でもありました。

モスクワ大公国への併合

ノヴゴロド国の独立を終わらせたのは、モスクワ大公国です。14世紀から15世紀にかけて、ノヴゴロドはモスクワとの長い対立に巻き込まれ、時にはリトアニアの支援を求めました。

ブリタニカは、イヴァン3世が1471年にノヴゴロドを破り、1478年にモスクワの主権を認めさせたと説明しています。Internet Encyclopedia of Ukraine も、1471年に多くの領土が併合され、1478年にモスクワの宗主権を認めさせられたと整理しています。

この出来事は、ノヴゴロド国だけでなく、ルーシ諸地域の歴史にとって大きな転換でした。都市自治と北方交易を背景にしたノヴゴロドの独自性は、モスクワ中心の統合国家に組み込まれていきます。

文化と遺産

ノヴゴロド国は、交易だけでなく文化でも重要でした。聖ソフィア大聖堂、クレムリン、教会建築、イコン、写本文化、年代記、白樺文書などを通じて、中世ルーシの文化を理解する重要な手がかりを残しています。

UNESCOは、ノヴゴロドの歴史的建造物群を世界遺産に登録しており、ノヴゴロドを石造建築の国民的様式の発祥地、最古級の絵画学校の一つ、ロシア文化と精神性の主要中心の一つと評価しています。

また、UNESCOの定期報告では、ノヴゴロドの考古学・文化層が10世紀から17世紀にわたり厚く残り、水分の多い嫌気的環境によって有機物が保存されている点も示されています。これは白樺文書など、都市社会の具体的な姿を知るうえで重要です。

世界史での意味

ノヴゴロド国の意味は、三つあります。

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意味内容
ルーシ国家形成の北方起点リューリク伝承、オレグ、キエフへの移動を理解するうえで重要
中世東欧の交易都市国家バルト海、ハンザ商人、北方森林、毛皮交易を結びつけた
モスクワ統合との対比都市自治的なノヴゴロドが、モスクワ中心の統合国家へ組み込まれる流れを示す

特に、ノヴゴロド国を学ぶと、ルーシ史を「キエフからモスクワへ一直線に進んだ歴史」として単純化しなくて済みます。北方には、交易、都市自治、ハンザ商人、モンゴルとの妥協、西方勢力への防衛という別の流れがありました。

世界史での覚え方

ノヴゴロド国は、次の順番で覚えると整理しやすいです。

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順番ポイント
1ノヴゴロドは北方交易の重要都市として早くから発展
2リューリク伝承により、ルーシ国家形成の北方起点とされる
3オレグが882年ごろキエフを押さえ、キエフ公国へ中心が移る
41019年、ヤロスラフ賢公が自立的な都市運営につながる特権を与えたとされる
51136年ごろ、ノヴゴロドは公権力からの自立を強める
6ハンザ交易と北方の毛皮交易で繁栄する
71240年、ネヴァ川の戦いでスウェーデン勢力を退ける
81242年、チュド湖の戦いでドイツ騎士団系勢力を退ける
9モンゴルの直接破壊は免れるが、宗主権と貢納を認める
101478年、モスクワ大公国に服属し、政治的独立を失う

年表で見るノヴゴロド国

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年・時期出来事ポイント
859年ノヴゴロドが年代記に登場するとされる古い都市としての位置づけ
862年ごろリューリクがノヴゴロド方面へ招かれたとされるリューリク朝伝承の起点
882年ごろオレグがキエフを押さえるキエフ公国形成へつながる
1019年ヤロスラフ賢公がノヴゴロドに自治特権を与えたとされる都市自治の前提として重要
1045年から1050年聖ソフィア大聖堂が建設されるノヴゴロド文化の象徴
1136年ごろノヴゴロドが公権力からの自立を強める共和国的体制の起点
1156年以後主教・大主教の政治的役割が強まる教会権威と都市政治が結びつく
1169年・1216年スーズダリ方面の公と争い勝利北東ルーシとの緊張
1238年から1240年タタール侵入の直接破壊を免れるただし宗主権と貢納を認める
1240年ネヴァ川の戦いアレクサンドル・ネフスキーがスウェーデン勢力を退ける
1242年チュド湖の戦いドイツ騎士団系勢力を退ける
1326年ノヴゴロド条約ノヴゴロドとノルウェーの境界・交易関係に関わる
1456年モスクワのヴァシーリー2世に敗れるモスクワ圧力が強まる
1471年イヴァン3世がノヴゴロドを破る北方領土の多くを失う
1478年ノヴゴロドがモスクワの主権を認める政治的独立の終わり
1494年ノヴゴロドのハンザ商館が正式に閉鎖されるバルト海交易秩序の変化
1570年イヴァン4世によるノヴゴロド弾圧都市の自立的伝統が大きく傷つく
1992年ノヴゴロドの歴史的建造物群が世界遺産に登録文化遺産としての評価

関連用語

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用語関係
ルーシノヴゴロド国を含む中世東欧の人々・地域・政治共同体
キエフ公国キエフを中心に発展したルーシの国家。ノヴゴロドとの違いが重要
リューリク朝ノヴゴロド伝承、キエフ公国、後の諸公国をつなぐ王朝
ヴァイキングヴァリャーグとルーシ形成を理解する前提
スカンディナヴィア半島北方系勢力の出身地域を理解する基礎
ビザンツ帝国ルーシ世界の宗教・交易・文化に影響した帝国
ノルマン人西方で国家形成に関わった北方系起源の集団。ルーシとの比較で重要
汎スラヴ主義近代の思想。中世ノヴゴロドとは時代を分けて理解する

よくある質問

ノヴゴロド国とは何ですか?

中世ルーシ世界の北西部で、都市ノヴゴロドを中心に発展した都市国家・共和国的な政治体です。北方交易、ヴェーチェ、ハンザ商人との関係、1478年のモスクワ併合が重要です。

ノヴゴロド国の建国者は誰ですか?

一人の建国者を断定するより、伝承上の起点はリューリク、キエフへの展開ではオレグ、共和国的な自立は1136年ごろと分けて覚えるのが正確です。

ノヴゴロド国とキエフ公国の違いは?

キエフ公国はキエフを中心にしたルーシの政治的中心で、ノヴゴロド国は北西部の交易都市を中心にした共和国的な都市国家です。ノヴゴロドはハンザ交易や北方の毛皮交易で栄えました。

ノヴゴロド国はモンゴルに征服されましたか?

ノヴゴロドは1238年から1240年のモンゴル侵入で直接破壊されませんでした。ただし、金帳汗国の宗主権と貢納を認める必要があり、完全に無関係だったわけではありません。

ノヴゴロド国はいつ滅びましたか?

政治的独立は1478年に終わりました。イヴァン3世のモスクワ大公国がノヴゴロドに主権を認めさせ、都市自治の伝統は大きく制限されていきました。

確認問題

  • ノヴゴロド国の中心都市はどこか。
  • ノヴゴロド方面の支配伝承と結びつくリューリク朝の始祖は誰か。
  • ノヴゴロド国の都市民会を何というか。
  • ノヴゴロド国が栄えた主な経済的理由は何か。
  • ノヴゴロド国の政治的独立が終わった年はいつか。
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問題答え解説
中心都市の名称は何か。ノヴゴロド現在のヴェリーキー・ノヴゴロド
ノヴゴロド方面の支配伝承と結びつく人物は誰か。リューリク862年ごろ招かれたとされ、リューリク朝の起点とされる
都市自治を支えた民会の名称は何か。ヴェーチェ共和国的な都市自治を象徴する制度
ノヴゴロド国が栄えた主な理由は何か。北方交易とハンザ商人との関係毛皮、蝋、蜂蜜、木材などの交易が重要だった
政治的独立が終わった年はいつか。1478年イヴァン3世のモスクワ大公国に服属した

参考文献・参考資料

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