皆さんは「二重権力」という言葉を聞いたことがありますか?この言葉は、ロシア革命期に起こった少し特殊な政治状況のことです。
第一次世界大戦中、ロシア帝国ではあることから【臨時政府】と【労働者・兵士ソビエト】という二つの権力機関が並立し、国の行く末を左右する大きな転換点となりました。
その【二重権力】はどのようなプロセスを経て生まれ、どういった影響を国民、国家、はては世界に影響を与えたのか。
その歴史が今現在の世の中に影響している可能性も大いにあるのではないでしょうか。
今回私は北の大国ロシアで生まれた2つの派閥による権力闘争とその結果に迫ろうと考えています。
ふたつの権力が生まれるケースは世界的に見てもあまりないそうです。
こういった貴重な過去をしることで今世界で起きていることが少しわかりやすくなるかもしれません。
【二重権力】について…
- どのようにして生まれたのか
- 二重権力は国民にどのような影響を与えたのか
などを詳しくご紹介しますので、私と共にその内容を紐解いてみましょう。
二重権力はどのようにして生まれたのか
ロシアの二重権力は、1917年2月革命の結果として生まれました。
当時のロシアは第一次世界大戦に参戦しており、食糧不足や物価高騰。
そして戦争の長期化による疲弊が国民の不満を高める要因になり、その結果【ロシア革命】に繋がる引き金となってしまいました。
その革命によってロシア帝国が崩壊すると、貴族や資産家を中心とする【臨時政府】が樹立されました。
時を同じく、労働者や兵士たちが自らの代表機関として【ソビエト】を組織し、実質的な権力を握っていきました。
この二つの権力機関が並立する状況が【二重権力】です。
保守派である【臨時政府】はロシア帝国の政治を踏襲する形式的な国家権力による政治運営を行っていました。
逆にソビエトは改革派という印象。現体制ではこの国は良くならないから政治体制を変えてしまおうという想いのもと労働者や兵士の支持を得て、徐々に力を持ち始めていました。
この状態がロシア革命を発端に発足した【二重権力】状態になります。
臨時とはいえ政府が成立しているのにもかかわらず、それに拮抗する勢力が組織されるという事態。
それだけ国家に対する不平不満が溜まっていたという事になると私は考えます。
それに気づかず、または気づいてはいたが、保身などのために、国民国家を後回しにしてしまった結果が【二重権力状態】を作ってしまったのだと思います。
二重権力は国民にどのような影響を与えたのか
この状態は、ロシアの国民生活に大きな混乱をもたらします。
まず、政策決定のプロセスが複雑化することとなり、迅速な対応が困難になりました。
臨時政府とソビエトの間で意見が対立することも多く、統一された方針を打ち出すことができませんでした。
また、国民の間でも支持が分かれました。
知識層や中産階級は臨時政府を支持する傾向がありましたが、労働者や兵士の多くはソビエトを支持しました。
この分裂は、社会の階級対立の構図をより鮮明にすることになります。
さらに、二重権力状態は戦争に対する方針にも影響を与えました。
臨時政府は戦争継続を主張しましたが、ソビエトは即時講和を求めていました。
この対立は、国民の間に更なる混乱と不安をもたらしました。
結果として、この不安定な状況は、後のボリシェビキ党による権力の掌握に繋がる大きな要因となりました。
現勢力だった臨時政府は衰退し、労働者ソヴィエト → のちのボリシェビキ党に権力を奪われることになりました。
このきっかけが、後の世界初の社会主義国家である【ソヴィエト連邦】の誕生に繋がっていきます。
二重権力が生まれた国とその背景
20世紀の激動期には、他の国々でもロシアと同様に【二重権力】に相当する状況が見られました。
第一次世界大戦後のドイツの事例と1930年代のスペインの事例です。
ドイツでは、1918年から1919年にかけて、敗戦による社会的混乱の中で二重権力状態が生まれました。
一方では社会民主党を中心とする【臨時政府】があり、他方には労働者や兵士たちが組織した【評議会】(これは、ロシアにおける【ソビエト】に相当するもの)が存在しました。
臨時政府は秩序ある民主化を目指し、評議会はより急進的な社会変革を求めていました。
この対立は、最終的に臨時政府側が軍の支援を得て評議会勢力を抑え込み、ワイマール共和国の成立へとつながりました。
スペインの例です。
同国では1936年の内戦勃発直後、【共和国政府】と【労働者の自主管理組織】が並立する形で二重権力状態が生まれました。
共和国政府が正式な統治機構ではあったのですが、労働組合や左派政党が組織した民兵組織や労働者委員会が、特に都市部で実質的な力を握っていました。
この状況は約1年続きました。内戦の激化とともに共和国政府が権力を集中させましたが、最終的には第三勢力である【反乱軍】が双方の勢力を抑えて新たな政治体制を成立するに至りました。
これらの事例は、急激な社会変動期には中央の権力が弱体化し、複数の勢力が並立して実効支配を争う状況が生まれやすいことを示しています。
二重権力の最終的な着地点とそこから見えてくるもの
二重権力状態は、革命期や急激な社会変動期に見られる現象ですが、その形態や結果は国によって異なります。
ロシアの場合、二重権力は約8か月間続き、最終的にはボリシェビキ党による10月革命で終結しました。
一方、ドイツでは社会民主党政府が軍と協力して左派勢力を抑え込み、ワイマール共和政が成立しました。
スペインの場合は、内戦の激化とともに二重権力状態が解消され、結果的にフランコ率いる反乱軍によって新政権の成立につながりました。
これらの事例から、二重権力状態は政治的に非常に不安定であり、長期間継続することは難しいと言えます。
ロシア、ドイツ、スペインのケースから、二重権力とは、どちらかの勢力が優位に立つか、第三の勢力が台頭する。
この2つ状況で終結することが多いという結論に至ります。
二重権力は民主主義の未成熟さや社会の分断を反映している面もあります。
そのため、現代の民主主義国家では稀な現象となっていますが、政治的危機や社会の大きな変革期には今でも起こりうる可能性があります。
二重権力を経て、現在のロシア連邦について考えてみる
ロシアの二重権力時代は100年以上前のことですが、その影響は現代のロシア社会にも及んでいます。
まず、強力な中央集権体制への志向が挙げられます。
二重権力の混乱を経験したロシアでは、安定を求めて強力な指導者への期待が高まりました。
これは、ソビエト時代から現在のプーチン政権に至るまで、ある程度継続していると言えるでしょう。
また、革命の記憶は、急激な社会変革への警戒心としても残っています。
現代ロシアの政治においては、安定性が重視され、急激な変化を避ける傾向が見られます。
一方で、二重権力時代に見られた民主的な要素、例えば労働者の権利や参加型の政治システムへの志向は、形を変えながらも現代ロシアの市民社会に息づいています。
このように、二重権力の経験は、現代ロシアの政治文化や社会構造に複雑な影響を与えています。
歴史を振り返ることで、今のロシアをより深く理解することができるのではないでしょうか。
二重権力 まとめ
- 二重権力はどのようにして生まれたのか
- 国家が不安定になり、国を運営している政府に対抗する組織が生まれた。
- 二重権力は国民にどのような影響を与えたのか
- 国家運営がうまく機能せず、国民の混乱に繋がった。
- 二重権力が生まれた国とその背景
- 社会情勢の急激な変化によって2つの組織による対立構造が生まれた。
- 二重権力の最終的な着地点とそこから見えてくるもの
- 二重権力の状態は、一方を抑えこむか、あらたな勢力が台頭し終結にむかう。
- 二重権力を経て、現在のロシア連邦について考えてみる
- 改革の歴史、社会主義国家としての繁栄と崩壊の歴史を経て現在に至っている。
ロシアの二重権力は、1917年の革命期に生まれた特異な政治状況でした。
臨時政府とソビエトという二つの権力機関の並立は、国民生活に大きな混乱をもたらしました。
二重権力状態は通常長くは続かず、どちらかの勢力が優位に立つか、第三の勢力が台頭することで終結します。
ロシアの場合は、ボリシェビキ党の台頭によって終わりを告げました。
この歴史的経験は、現代のロシア社会にも影響を与えています。
強力な中央集権体制への志向や、急激な社会変革への警戒心などがその例です。
現在のロシア連邦の政治は大統領権限が強い政治体制になっていると私は考えます。
権力の集中は混乱時における改革、成長、安定までのプロセスまでであれば良い結果になるとも言えますが、国家が安定し経済成長を経てグローバル化していく環境の中では必ずしも良い結果になるとは思えません。
過去を踏襲せずにロシア連邦が良い方向で安定し、さらにそれが世界情勢の安定に繋がってほしいものです。