サルデーニャ王国とは?どこの国・首都・国王・イタリア統一との関係を解説

サルデーニャ王国とは、近代にはサヴォイア家が支配した王国で、北西イタリアのピエモンテ地方とサルデーニャ島を中心にした国家です。名前だけ見るとサルデーニャ島だけの国に思えますが、19世紀の世界史で重要なのは、政治の中心がピエモンテのトリノにあり、リソルジメントイタリア王国成立を主導した点です。

とくに、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、首相カヴール、義勇軍を率いたガリバルディの動きをつなげると、サルデーニャ王国がなぜイタリア統一の中心になったのかが分かりやすくなります。この記事では、サルデーニャ王国がどこの国だったのか、首都・国王・首相・イタリア統一との関係を整理します。

もくじ

まず一言でいうと

サルデーニャ王国は、サヴォイア家が支配し、19世紀にイタリア統一を進めた北西イタリア中心の王国です。

覚えるときは「サルデーニャ島の国」だけで止めないことが大切です。世界史でよく出るサルデーニャ王国は、ピエモンテを政治の中心にしたサルデーニャ=ピエモンテの王国で、1861年のイタリア王国成立へつながる主役でした。

サルデーニャ王国の基本情報

項目内容
名称サルデーニャ王国、サルデーニャ=ピエモンテ、ピエモンテ=サルデーニャ
支配家サヴォイア家
近代の起点1720年、サヴォイア家がサルデーニャ島を得て王号を用いる
政治の中心ピエモンテ地方のトリノ
主な領域ピエモンテ、サルデーニャ島、サヴォイア、ニースなど
重要人物カルロ・アルベルト、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、カヴール
世界史上の役割イタリア統一を主導し、1861年のイタリア王国成立につながった

表記は複数あります。日本語では「サルデーニャ王国」が多く使われますが、「サルディーニャ王国」「サルディニア王国」「サルジニア王国」と表記されることもあります。世界史の文脈では、これらは基本的に同じ王国を指すものとして読めます。

サルデーニャ王国はどこにあったのか

サルデーニャ王国は、現在のイタリア北西部とサルデーニャ島を結びつけた王国です。中心は、アルプスに近いピエモンテ地方でした。ピエモンテの中心都市トリノは、近代サルデーニャ王国の政治・宮廷の中心として機能しました。

そのため、「サルデーニャ王国はどこ?」と聞かれたら、まず「北西イタリアのピエモンテを中心に、サルデーニャ島も含んだ王国」と答えるのが分かりやすいです。国名はサルデーニャですが、実際の政治力と外交の中心はピエモンテ側にありました。

なぜサルデーニャ島の名が付くのか

サヴォイア家はもともとサヴォイア公国やピエモンテを支配していました。18世紀初めの国際関係の変化の中で、サヴォイア家はシチリアを手放す代わりにサルデーニャ島を得ます。1720年以降、サヴォイア家の君主は「サルデーニャ王」と呼ばれるようになりました。

ここが混乱しやすい点です。王号はサルデーニャ王でも、王国の富や政治の重心はピエモンテにありました。そのため、近代史では「サルデーニャ=ピエモンテ」と呼ぶと実態をつかみやすくなります。

首都はどこか

近代のサルデーニャ王国で押さえるべき中心都市はトリノです。トリノはピエモンテ地方の都市で、サヴォイア家の政治的な拠点でした。世界史の学習では「サルデーニャ王国の中心はトリノ」と整理するとよいでしょう。

ただし、長い歴史の中ではサルデーニャ島側のカリャリが重要だった時期や、ナポレオン戦争期に王家が島へ退いた時期もあります。受験や概説で重要なのは、19世紀のイタリア統一を主導したサルデーニャ=ピエモンテの政治中心がトリノだったことです。

国王と首相

サルデーニャ王国を理解するうえで重要な人物は、カルロ・アルベルト、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、カヴールです。

人物立場ポイント
カルロ・アルベルトサルデーニャ王1848年にアルベルト憲章を発布し、オーストリアとの戦争にも関わった
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世サルデーニャ王、のち初代イタリア国王カヴールを起用し、1861年に統一イタリアの国王となった
カヴール首相外交と近代化政策でイタリア統一を進めた中心人物
ガリバルディ義勇軍指導者南イタリアを攻略し、統一を大きく進めた
マッツィーニ共和主義者青年イタリアを組織し、民族意識を高めた

「サルデーニャ王国の首相」として最も重要なのはカヴールです。カヴールは内政では鉄道整備や経済発展を進め、外交ではフランス皇帝ナポレオン3世との関係を利用して、オーストリアに対抗しました。

カルロ・アルベルトとアルベルト憲章

カルロ・アルベルトは、1831年から1849年までサルデーニャ王でした。1848年のヨーロッパ革命の中で、彼はアルベルト憲章を発布します。この憲章は、のちにイタリア王国の憲法的な基礎にもなりました。

カルロ・アルベルトは、オーストリアに対抗して第一次イタリア独立戦争を戦いましたが、クストーツァやノヴァーラで敗れます。1849年に退位し、王位は息子のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世へ移りました。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の役割

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、1849年からサルデーニャ王となり、1861年には初代イタリア国王となりました。彼の時代に、サルデーニャ王国はイタリア統一の中心国家へ変わっていきます。

重要なのは、彼がカヴールを政権の中心に据えたことです。カヴールの外交と、ガリバルディの軍事行動、さらに各地の住民投票が結びつき、イタリア半島の多くがサルデーニャ王国のもとへ統合されていきました。

カヴールは何をしたのか

カヴールは、サルデーニャ王国の首相としてイタリア統一を現実的に進めた政治家です。共和主義の理想だけで一気に統一を進めるのではなく、列強外交と軍事同盟を使って段階的に統一を進めました。

  • 国内の経済・交通・軍備を整えた
  • クリミア戦争に参戦し、サルデーニャ王国を国際会議の場に出した
  • フランスのナポレオン3世と接近した
  • 1859年の対オーストリア戦争でロンバルディア獲得につなげた
  • 中部イタリアの併合を進めた

カヴールの特徴は、イタリア統一を「民族運動」だけでなく「国際政治」として動かした点です。そのため、サルデーニャ王国は小国のままではなく、ヨーロッパ外交の中で統一の主導権を握る国家になりました。

イタリア統一との関係

サルデーニャ王国が世界史で重要なのは、イタリア統一を主導したからです。当時のイタリア半島は、オーストリアの影響を受ける北部、教皇領、両シチリア王国などに分かれていました。ひとつのイタリア国家はまだありませんでした。

統一運動には、マッツィーニの共和主義、ガリバルディの義勇軍、カヴールの外交、サヴォイア家の王権が関わりました。その中で最終的に国家統一の受け皿になったのが、立憲君主制を持つサルデーニャ王国でした。

統一までの流れ

サルデーニャ王国による統一は、いくつかの段階で進みました。

段階内容意味
1848年カルロ・アルベルトがアルベルト憲章を発布し、オーストリアと戦うサルデーニャ王国が自由主義・民族運動の中心候補になる
1852年カヴールが首相になる統一を進める現実主義的な外交が始まる
1855年クリミア戦争に参戦国際政治で発言権を得る
1858年プロンビエールの密約フランスの支援を得てオーストリアに対抗する準備をする
1859年第二次イタリア独立戦争ロンバルディア獲得につながる
1860年中部イタリアの併合、ガリバルディの千人隊遠征北部・中部・南部の統合が進む
1861年イタリア王国成立ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が初代国王となる

この流れから分かるように、サルデーニャ王国は「イタリア統一の前身国家」として重要です。1861年に突然イタリア王国が生まれたのではなく、サルデーニャ王国を核に各地が統合されていったと理解すると整理しやすくなります。

なぜサルデーニャ王国が主導できたのか

サルデーニャ王国が統一の中心になれた理由は、他のイタリア諸国よりも政治・外交・軍事の条件がそろっていたからです。

  • サヴォイア家という王朝があり、統一後の国王を立てやすかった
  • アルベルト憲章により立憲君主制の形を持っていた
  • ピエモンテを中心に経済・軍事改革を進められた
  • カヴールがフランスなど列強との外交を展開した
  • オーストリア支配に反発する北イタリアの民族運動と結びついた

マッツィーニの共和主義運動やカルボナリのような秘密結社は、民族意識を高めるうえで重要でした。しかし、実際に国境を変えて国家を作るには、王国の軍隊、外交、財政が必要でした。その役割を担ったのがサルデーニャ王国です。

プロイセンとの比較

サルデーニャ王国は、ドイツ統一におけるプロイセン王国と比べると覚えやすくなります。どちらも、分裂していた地域を統一する中心国家になったからです。

比較サルデーニャ王国プロイセン王国
主導した統一イタリア統一ドイツ統一
中心人物カヴール、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ビスマルク、ヴィルヘルム1世
主な相手オーストリア、教皇領、両シチリア王国などオーストリア、フランスなど
統一国家1861年、イタリア王国1871年、ドイツ帝国
特徴外交と民族運動を組み合わせた統一軍事力と外交を軸にした統一

ただし、両者は同じではありません。サルデーニャ王国の場合、ガリバルディの南イタリア攻略や住民投票など、王国政府以外の民族運動も大きな役割を果たしました。

サルデーニャ王国とイタリア王国の違い

サルデーニャ王国とイタリア王国は連続していますが、同じものではありません。サルデーニャ王国は統一前の中心国家で、イタリア王国は1861年に成立した統一国家です。

項目サルデーニャ王国イタリア王国
時期近代では1720年から1861年までが重要1861年から第二次世界大戦後まで
中心ピエモンテ、トリノ、サルデーニャ島統一されたイタリア半島
君主サヴォイア家のサルデーニャ王サヴォイア家のイタリア王
意味統一の母体統一の結果として成立した国家

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、サルデーニャ王から初代イタリア国王になりました。そのため、王朝は連続していますが、国家の範囲と名称は大きく変わりました。

現在のどこにあたるのか

現在の地図で見ると、サルデーニャ王国の中心だったピエモンテはイタリア北西部にあります。トリノは現在もピエモンテ州の中心都市です。サルデーニャ島は、現在のイタリアの自治州サルデーニャ州にあたります。

一方で、サヴォイアやニースは現在のフランス側に属します。1860年、フランスの支援を受けた代償として、サルデーニャ王国はサヴォイアとニースをフランスに割譲しました。つまり、現在の国境と当時の王国領は完全には一致しません。

年表で見るサルデーニャ王国

出来事ポイント
1718年ロンドン条約でサヴォイア家がサルデーニャを得る流れが決まるシチリアとサルデーニャの交換につながる
1720年ヴィットーリオ・アメデーオ2世がサルデーニャを正式に得るサヴォイア家のサルデーニャ王国が始まる
1815年ウィーン体制下でジェノヴァなどを加える北西イタリアで勢力を強める
1831年カルロ・アルベルトが即位自由主義と民族運動への期待が高まる
1848年アルベルト憲章を発布立憲君主制の基礎が整う
1849年カルロ・アルベルトが退位し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が即位統一の次段階へ進む
1852年カヴールが首相になる外交による統一政策が本格化する
1859年第二次イタリア独立戦争ロンバルディア獲得につながる
1860年中部イタリア併合、ガリバルディの南イタリア遠征統一範囲が急拡大する
1861年イタリア王国成立サルデーニャ王国が統一国家へ発展する

覚え方

サルデーニャ王国は、次の3点で覚えると整理しやすいです。

  • サヴォイア家の王国で、政治の中心はピエモンテのトリノ
  • 首相カヴールと国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が統一を進めた
  • 1861年のイタリア王国成立の母体になった

短く言えば、「サルデーニャ王国=イタリア統一の中心になったサヴォイア家の王国」です。サルデーニャ島だけでなく、ピエモンテとトリノをセットで覚えると混乱しません。

関連用語

よくある質問

サルデーニャ王国とは簡単に言うと何ですか?

サヴォイア家が支配し、19世紀にイタリア統一を主導した王国です。名前はサルデーニャですが、政治の中心は北西イタリアのピエモンテ、特にトリノにありました。

サルデーニャ王国は現在のどこですか?

中心は現在のイタリア北西部ピエモンテ地方とサルデーニャ島です。ただし、当時の領域には現在フランスに属するサヴォイアやニースも含まれていたため、現在の国境とは一致しません。

サルデーニャ王国の首都はどこですか?

19世紀のイタリア統一を考えると、政治の中心はピエモンテ地方のトリノです。国名はサルデーニャですが、サヴォイア家の権力と外交の中心はトリノにありました。

サルデーニャ王国の首相は誰ですか?

イタリア統一で最も重要な首相はカミッロ・カヴールです。カヴールは内政改革と列強外交を進め、フランスとの同盟を利用してオーストリアに対抗しました。

サルデーニャ王国の国王は誰ですか?

統一期で重要なのはカルロ・アルベルトとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世です。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、1861年に初代イタリア国王となりました。

サルデーニャ王国とサルディーニャ王国は違いますか?

基本的には同じ王国を指す表記違いです。日本語ではサルデーニャ王国が一般的ですが、サルディーニャ王国、サルディニア王国、サルジニア王国と書かれることもあります。

確認問題

  1. サルデーニャ王国の政治の中心都市はどこでしたか。
  2. サルデーニャ王国を支配した王朝名を答えましょう。
  3. イタリア統一を進めたサルデーニャ王国の首相は誰ですか。
  4. ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、1861年にどの国の初代国王になりましたか。
  5. サルデーニャ王国がイタリア統一の中心になれた理由を2つ挙げましょう。

解答

  1. トリノ。
  2. サヴォイア家。
  3. カヴール。
  4. イタリア王国。
  5. 例: 立憲君主制を持っていたこと、カヴールの外交があったこと、ピエモンテを中心に軍事・経済改革を進めたこと、フランスとの同盟を利用できたこと。

参考文献・参考資料

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