イングランド王国とは?建国・ノルマン征服・終焉を解説

イングランド王国とは、ブリテン島南部のイングランドを中心に成立した王国です。一般に、927年にアゼルスタンがノーサンブリアを支配下に入れ、全イングランドを直接支配したことが、統一王国としての重要な起点とされます。

その後、1066年のノルマン・コンクェスト、中世王権の発展、ウェールズとの統合、海外進出を経て、1707年にスコットランド王国と合同し、グレートブリテン王国へ移りました。

つまりイングランド王国は、現在のイギリスそのものではありません。現在のイギリスを理解する前段階として、「イングランドがどのように王国になり、1707年にどう変わったのか」を押さえる記事です。

もくじ

まず一言でいうと

イングランド王国は、アングロ=サクソン諸王国を基盤に成立し、1707年にスコットランドと合同してグレートブリテン王国へ移った王国です。

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項目内容
国名イングランド王国
中心地ブリテン島南部のイングランド
建国・統一の重要年927年
重要人物アゼルスタン、アルフレッド大王、ウィリアム1世など
重要事件ノルマン征服、マグナ・カルタ、百年戦争、宗教改革、1707年合同
終焉1707年、スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国へ

どこにあった国か

イングランド王国は、ブリテン島南部を中心とする王国です。現在のイングランドにあたる地域を基盤にしました。

ただし、時代によって支配範囲は変わります。中世にはウェールズへ支配を広げ、さらにアイルランドや大陸フランスとの関係も深まりました。したがって、「イングランド王国=現在のイングランドだけ」と単純に切るより、ブリテン島南部を中心に拡大・統合していった王国と見る方が正確です。

現在の「イギリス」は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドからなる連合王国です。イングランド王国は、その前段階にあたる歴史上の国家です。

建国はいつか

イングランド王国の建国年は、文脈によって説明が分かれます。世界史学習では、927年を重要な基準として押さえるのが実用的です。

927年、ウェセックス王家のアゼルスタンがノーサンブリアを支配下に入れ、全イングランドを直接支配する王となりました。Britannicaも、アゼルスタンを「イングランド全体を実効支配した最初の西サクソン王」と説明しています。

ただし、イングランドが突然927年に無から生まれたわけではありません。背景には、アングロ=サクソン諸王国、七王国、ウェセックス王国の台頭、ヴァイキングへの対応がありました。

七王国から統一へ

イングランド王国の前史には、アングロ=サクソン系の諸王国があります。代表的に、ケント、サセックス、ウェセックス、エセックス、イーストアングリア、マーシア、ノーサンブリアが七王国として知られます。

これらの王国は、常に一つにまとまっていたわけではありません。勢力の強い王国が他の王国に影響を及ぼし、時代ごとに主導権が移りました。

9世紀になると、ヴァイキングの侵入が大きな転機になります。デーン人を含む北方勢力がイングランド各地へ進出し、既存の王国秩序を揺さぶりました。この危機に対応する中で、ウェセックス王国が統一の中心になっていきます。

アルフレッド大王とウェセックス

イングランド統一の流れで重要なのが、アルフレッド大王です。

アルフレッドはウェセックス王としてデーン人の侵入に対抗し、軍事・行政・教育の面で改革を進めました。彼の時代に、ウェセックスは単なる地方王国ではなく、イングランド統一の核となる勢力へ成長します。

その後、アルフレッドの子エドワード長兄王、孫アゼルスタンへと統一事業が引き継がれました。アゼルスタンが927年にノーサンブリアを支配下に入れたことで、イングランド王国の成立がはっきり見える段階に入ります。

ノルマン征服で何が変わったか

1066年、イングランド王国は大きな転換点を迎えました。ノルマンディー公ウィリアムがイングランドへ侵攻し、ヘースティングズの戦いでハロルド2世を破ったからです。

この征服によって、ウィリアムはイングランド王ウィリアム1世となりました。彼はノルマンディー公ウィリアムとしても知られます。

ノルマン征服の結果、支配層は大きく入れ替わり、城の建設、土地支配の再編、教会人事、行政記録が進みました。イングランド王国は継続しましたが、その支配の性格は大きく変わりました。詳しくはノルマン朝の記事で整理しています。

中世王国としての発展

ノルマン征服後のイングランド王国では、王権、貴族、教会、都市、議会の関係が少しずつ変化しました。

1086年のドゥームズデイ・ブックは、土地と税を把握するための大規模調査で、ノルマン朝の支配を象徴する史料です。王権は土地支配と課税を通じて、王国をより制度的に管理しようとしました。

13世紀にはマグナ・カルタが出され、王権と貴族の関係が重要な政治問題になります。のちには議会の発展も進み、イングランド王国の政治制度は中世ヨーロッパの中でも特徴的な形をとっていきました。

ウェールズとの統合

イングランド王国は、中世から近世にかけてウェールズへの支配を強めました。

ウェールズはケルト系の諸勢力が存在した地域でしたが、13世紀後半にイングランド王権の支配下へ組み込まれていきます。さらに16世紀の諸法により、ウェールズはイングランドの法制度へ組み込まれました。

Britannicaは、ウェールズが1536年と1542年の合同法により正式にイングランドと統合されたと説明しています。これにより、のちのグレートブリテン形成の前提が整っていきました。

スコットランドとの関係

イングランド王国とスコットランド王国は、長く別の王国でした。両国は戦争も同盟も経験しながら、ブリテン島の北と南で並び立ちました。

1603年、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、両国は同じ君主を戴くようになりました。これを同君連合といいます。ただし、この時点ではイングランド王国とスコットランド王国は別々の国家でした。

最終的に1707年の合同法により、両国は一つの王国として統合されます。

いつ終わったのか

イングランド王国は、1707年に終わったと整理します。

1707年5月1日、イングランド王国とスコットランド王国は合同し、グレートブリテン王国が成立しました。UK Parliamentは、1707年5月1日からスコットランドとイングランドが「Great Britain」の名で一つの王国に統合されたと説明しています。

したがって、「イングランド王国」は1707年以後も地域名としてのイングランドが消えたという意味ではありません。国家としてのイングランド王国が、グレートブリテン王国へ移行したという意味です。

イングランド・イギリス・グレートブリテンの違い

イングランド王国を理解するとき、イングランド、イギリス、グレートブリテンを混同しないことが大切です。

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用語意味ポイント
イングランドブリテン島南部の地域現在も地域名として使われる
イングランド王国927年ごろから1707年まで続いた歴史上の王国1707年に国家としては消滅
グレートブリテン王国1707年にイングランドとスコットランドが合同して成立イングランド王国の後継国家
イギリス、連合王国現在の United Kingdom現在はグレートブリテンと北アイルランドを含む

日常語では「イギリス」とまとめて呼ぶことが多いですが、歴史を学ぶときは、どの時代のどの国家を指しているのかを分けて考える必要があります。

世界史上の意味

イングランド王国の意味は、現在のイギリス史の前段階というだけではありません。

第一に、アングロ=サクソン諸王国が統合され、ブリテン島南部に比較的強い王権が形成された点が重要です。

第二に、1066年のノルマン征服によって、イングランドはフランス世界と深く結びつきました。これは後の英仏関係、百年戦争、王権と貴族の関係を理解する前提になります。

第三に、1707年の合同によって、イングランド王国はグレートブリテン王国へ移行しました。近代の大英帝国や現在の連合王国を理解するうえで、イングランド王国は出発点となる存在です。

覚え方

イングランド王国は、次の流れで覚えると整理しやすいです。

  • アングロ=サクソン諸王国が並び立つ
  • ウェセックス王国がヴァイキングに対抗して力を伸ばす
  • 927年、アゼルスタンが全イングランド支配を実現する
  • 1066年、ノルマン征服で支配層が大きく変わる
  • 中世を通じて王権、議会、法制度が発展する
  • 1536年・1542年、ウェールズが制度的に統合される
  • 1707年、スコットランドと合同してグレートブリテン王国へ移る

混同しやすいポイント

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混同正確な理解
イングランド王国は現在のイギリスと同じ同じではない。1707年以前の歴史上の王国
建国は1066年1066年はノルマン征服。統一王国の重要な起点は927年
アゼルスタンとアルフレッド大王が同じ役割アルフレッドは統一の基盤を作り、アゼルスタンが全イングランド支配を実現した
1707年にイングランド地域が消えた消えたのは国家としてのイングランド王国。地域名としてのイングランドは残った
ノルマン征服でイングランド王国が消えた王国は続いたが、支配層と制度が大きく変わった

関連用語

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用語関係
アングロ=サクソンイングランド王国の前史を作った人々
七王国統一前のアングロ=サクソン諸王国
アルフレッド大王ウェセックス王として統一の基盤を作った人物
デーン人ヴァイキング時代のイングランドを理解する関連勢力
ヴァイキングイングランド統一を促した外圧
ノルマン・コンクェスト1066年にイングランド王国を大きく変えた征服
ノルマン朝ノルマン征服後のイングランド王朝
ヘースティングズの戦いノルマン征服を決定づけた戦い
バイユーのタペストリーノルマン征服の物語を伝える作品

年表

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出来事ポイント
5世紀ごろアングロ=サクソン人がブリテン島へ進出諸王国形成の前提
597年アウグスティヌスの布教キリスト教化が進む
871年アルフレッド大王がウェセックス王となるヴァイキングへの抵抗と改革
927年アゼルスタンがノーサンブリアを支配下に入れる全イングランド支配の重要な起点
1066年ノルマン征服支配層と制度が大きく変わる
1086年ドゥームズデイ・ブック土地・課税把握の調査
1215年マグナ・カルタ王権と貴族の関係を示す重要文書
1536年・1542年ウェールズが制度的に統合されるイングランド王国の枠組みが広がる
1603年イングランドとスコットランドが同君連合になる王は同じだが国家は別
1707年スコットランドと合同グレートブリテン王国へ移行

よくある質問

イングランド王国とは何ですか?

ブリテン島南部のイングランドを中心に成立した歴史上の王国です。927年ごろに統一王国としての形が明確になり、1707年にスコットランド王国と合同してグレートブリテン王国へ移りました。

イングランド王国の建国はいつですか?

学習上は927年を重要な起点として押さえます。この年、アゼルスタンがノーサンブリアを支配下に入れ、全イングランドを直接支配する王となりました。

イングランド王国はいつ終わりましたか?

1707年です。イングランド王国とスコットランド王国が合同し、グレートブリテン王国が成立しました。

イングランド王国とイギリスは同じですか?

同じではありません。イングランド王国は1707年以前の歴史上の王国です。現在のイギリスは、グレートブリテンと北アイルランドを含む連合王国です。

1066年にイングランド王国は滅びましたか?

王国そのものは続きました。ただし、ノルマン征服によって支配層、土地制度、行政、文化が大きく変わりました。

確認問題

  • イングランド王国成立の重要な起点とされる年は何年ですか?
  • 全イングランド支配を実現した王は誰ですか?
  • 1066年にイングランドを征服した勢力は何人ですか?
  • イングランド王国がスコットランド王国と合同した年は何年ですか?
  • 1707年の合同で成立した王国は何ですか?

答えは、927年、アゼルスタン、ノルマン人、1707年、グレートブリテン王国です。

参考文献・参考資料

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