オランダ領東インドとは、オランダが現在のインドネシアの大部分を支配した植民地です。英語では Dutch East Indies、オランダ語では Nederlands-Indië と呼ばれます。
場所は、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島の一部、スラウェシ島、モルッカ諸島などを含む東南アジアの島しょ部です。現在の国名でいえば、ほぼインドネシアにあたります。
世界史では、東インド会社による香辛料貿易、英蘭協約後の勢力圏整理、19世紀の植民地経営、20世紀のインドネシア独立運動をつなぐ用語として重要です。
まず一言でいうと
オランダ領東インドは、オランダがインドネシア周辺の島々を支配した植民地で、中心はジャワ島のバタヴィア、現在のジャカルタでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | オランダ領東インド、蘭領東インド |
| 現在の場所 | インドネシアの大部分 |
| 中心地 | バタヴィア、現在のジャカルタ |
| 支配国 | オランダ |
| 重要な島 | ジャワ、スマトラ、スラウェシ、モルッカ諸島など |
| 世界史上の意味 | 東南アジアにおけるオランダ植民地支配とインドネシア独立の前提 |
現在のどこにあたるのか
オランダ領東インドは、現在のインドネシアの大部分にあたります。特に重要なのは、ジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島、モルッカ諸島、バリ島などです。
ただし、現在のインドネシアの国境がそのまま最初から存在したわけではありません。オランダは長い時間をかけて港、島、王国、内陸部への支配を広げ、19世紀から20世紀にかけて植民地行政を強めました。
検索で混同されやすい「オランダ領インドシナ」は、通常の世界史用語としては正しくありません。インドシナ半島で重要なのはフランス領インドシナで、オランダ領東インドとは別地域です。
| 用語 | 現在のおもな地域 | 支配した国 |
|---|---|---|
| オランダ領東インド | インドネシアの大部分 | オランダ |
| イギリス領マラヤ | マレー半島方面 | イギリス |
| フランス領インドシナ | ベトナム、ラオス、カンボジア方面 | フランス |
| 海峡植民地 | シンガポール、マラッカ、ペナンなど | イギリス |
なぜオランダが支配したのか
きっかけは、香辛料貿易です。16世紀から17世紀のヨーロッパでは、こしょう、クローブ、ナツメグなどの香辛料が高い価値を持ちました。東南アジアの島々は、その重要な産地だったのです。
1602年、オランダはオランダ東インド会社を設立しました。会社とはいっても、単なる商社ではなく、アジアで要塞を築き、条約を結び、戦争も行える強い権限を持つ組織でした。
1619年には、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャワ島西部のバタヴィアを拠点化しました。バタヴィアは、のちのオランダ領東インドの中心都市となります。
オランダ東インド会社から植民地へ
17世紀の段階では、支配の中心はオランダ東インド会社でした。会社は香辛料貿易を押さえるため、港や島を支配し、現地の王国や商人と競争しました。
しかし18世紀になると、会社の財政は悪化します。1799年にオランダ東インド会社は解散し、その支配地はオランダ国家の支配へ移っていきました。
その後、ナポレオン戦争の影響でイギリスが一時的にジャワを占領する時期もありました。戦後、オランダは東インド支配を回復し、19世紀に植民地行政を強化します。
英蘭協約との関係
オランダ領東インドを理解するうえで、1824年の英蘭協約は重要です。
英蘭協約により、イギリスとオランダは東南アジアの勢力圏を整理しました。イギリスはマレー半島・シンガポール方面、オランダはスマトラ・ジャワ方面へ重心を置く流れが強まります。
その結果、イギリス側では海峡植民地やイギリス領マラヤが発展し、オランダ側ではオランダ領東インドが植民地として拡大しました。両者を分ける重要な海域がマラッカ海峡です。
19世紀の植民地経営
19世紀のオランダ領東インドでは、ジャワ島を中心に植民地経営が強まりました。代表的なのが、1830年ごろから導入された強制栽培制度です。
強制栽培制度では、農民にコーヒー、砂糖、藍など輸出用作物の生産を求めました。オランダ本国にとっては大きな収益源になりましたが、現地社会には重い負担をかけました。
また、1825年から1830年にかけてはジャワ戦争が起こりました。これはジャワの支配をめぐる大規模な戦争で、オランダの植民地支配がさらに強まる転機にもなりました。
帝国主義時代の位置づけ
19世紀後半から20世紀初めにかけて、欧米列強はアジアやアフリカで植民地支配を拡大しました。この流れは帝国主義と呼ばれます。
オランダ領東インドは、ゴム、石油、砂糖、コーヒーなどの資源や商品作物を生産する植民地として重要でした。インド洋と太平洋を結ぶ航路にも近く、スエズ運河開通後の世界貿易とも関係します。
このように、オランダ領東インドは「オランダの遠い植民地」ではなく、近代世界経済の中で資源・貿易・海上交通を結びつける重要地域でした。
日本占領と独立への流れ
第二次世界大戦中の1942年、日本軍はオランダ領東インドを占領しました。オランダ本国がドイツに占領されていたこともあり、植民地支配は大きく揺らぎます。
日本占領期は、現地社会に大きな負担を与えた一方で、インドネシア人指導者が政治的経験を積む時期にもなりました。戦争末期には独立への期待が高まります。
1945年、日本の敗戦直後にスカルノとハッタがインドネシア独立を宣言しました。その後、オランダとの独立戦争を経て、1949年にオランダはインドネシアの主権を認めます。
世界史上の意味
オランダ領東インドの世界史上の意味は、東南アジアの島しょ部が、香辛料貿易、植民地支配、帝国主義、民族運動、脱植民地化を経験した代表例である点です。
最初は会社による貿易支配から始まり、やがて国家による植民地統治へ変わりました。そして20世紀には、民族自決や独立運動の流れの中で、インドネシア独立へ向かいます。
つまりオランダ領東インドは、植民地がどのように形成され、経済的に利用され、やがて独立国家へ変わっていくのかを理解するための重要な事例です。
年表で見るオランダ領東インド
| 年 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1602年 | オランダ東インド会社が設立される | 香辛料貿易とアジア進出の中心組織となる |
| 1619年 | バタヴィアが拠点化される | オランダ支配の中心都市になる |
| 1799年 | オランダ東インド会社が解散 | 会社支配から国家支配へ移る |
| 1811年 | イギリスがジャワを占領 | ナポレオン戦争期の混乱が東南アジアにも及ぶ |
| 1824年 | 英蘭協約が結ばれる | イギリスとオランダの東南アジア勢力圏が整理される |
| 1825年 | ジャワ戦争が始まる | ジャワ支配をめぐる大規模な戦争となる |
| 1830年ごろ | 強制栽培制度が導入される | 輸出用作物の生産が植民地経済を支える |
| 1942年 | 日本軍がオランダ領東インドを占領 | オランダ植民地支配が崩れる |
| 1945年 | インドネシア独立宣言 | 戦後の独立運動が本格化する |
| 1949年 | オランダがインドネシアの主権を認める | オランダ領東インドの時代が終わる |
関連用語
| 用語 | 意味 | オランダ領東インドとの関係 |
|---|---|---|
| 東インド会社 | ヨーロッパ諸国がアジア貿易を担わせた特許会社 | オランダ東インド会社が東インド支配の出発点 |
| 英蘭協約 | 1824年にイギリスとオランダが結んだ条約 | オランダがスマトラ・ジャワ方面へ重心を置く流れを強めた |
| マラッカ海峡 | インド洋と南シナ海を結ぶ海峡 | 英蘭勢力圏の分岐を考える重要海域 |
| イギリス領マラヤ | イギリス支配下のマレー半島地域 | 英蘭協約後のイギリス側の展開 |
| ジャワ戦争 | 1825年から1830年に起きたジャワの大規模戦争 | オランダのジャワ支配強化と関係 |
| フランス領インドシナ | フランスが支配したインドシナ半島の植民地 | オランダ領東インドと混同しやすい別地域 |
| 帝国主義 | 列強が植民地や勢力圏を広げた動き | 19世紀後半以降の植民地支配を理解する背景 |
覚え方
オランダ領東インドは、次の3点で覚えると整理しやすいです。
- 現在のインドネシアの大部分にあたる
- 出発点はオランダ東インド会社と香辛料貿易
- 第二次世界大戦後、インドネシア独立へつながった
一言でまとめるなら、オランダ領東インドは「現在のインドネシアにあたるオランダ植民地」です。
よくある質問
オランダ領東インドとは何ですか?
現在のインドネシアに広がっていた、オランダの東南アジア植民地です。中心地はジャワ島のバタヴィア、現在のジャカルタでした。
オランダ領東インドは現在のどこですか?
現在のインドネシアの大部分にあたります。ジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島、モルッカ諸島などが重要な地域です。
オランダ領東インドとフランス領インドシナは同じですか?
同じではありません。オランダ領東インドは現在のインドネシア方面、フランス領インドシナは現在のベトナム、ラオス、カンボジア方面です。
オランダ領東インドはいつ終わりましたか?
第二次世界大戦中の日本占領でオランダ支配は崩れ、1945年にインドネシア独立が宣言されました。その後の独立戦争を経て、1949年にオランダはインドネシアの主権を認めました。
確認問題
- オランダ領東インドは現在のどの国の大部分にあたりますか?
- オランダ領東インドの中心都市バタヴィアは、現在の何という都市ですか?
- 1602年に設立され、東インド支配の出発点になった組織は何ですか?
- 1824年に英蘭の東南アジア勢力圏を整理した条約は何ですか?
- 1825年から1830年に起きた、ジャワ支配をめぐる大規模な戦争は何ですか?
- オランダがインドネシアの主権を認めたのは何年ですか?
参考文献・参考資料
- Encyclopaedia Britannica, “Dutch East Indies”
- Encyclopaedia Britannica, “Indonesia – Dutch rule from 1815 to c. 1920”
- Encyclopaedia Britannica, “Dutch East India Company”
- Encyclopaedia Britannica, “Culture System”
- Encyclopaedia Britannica, “Indonesia – The Japanese occupation”
- Encyclopaedia Britannica, “Hague Agreement”
- Encyclopaedia Britannica, “Strait of Malacca”
