第二革命とは、1913年に袁世凱へ反発した国民党系の革命派が起こした武装蜂起です。辛亥革命で清朝は倒れましたが、共和制をどう運営するかをめぐって袁世凱と孫文系勢力が対立しました。
直接の背景には、国民党を率いた宋教仁の暗殺、袁世凱による巨大借款、省都督の罷免があります。1913年7月に李烈鈞らが挙兵し、南京・上海・安徽・広東などにも反袁の動きが広がりました。
結果は失敗です。袁世凱の北洋軍は反乱を短期間で鎮圧し、孫文らは日本へ逃れました。第二革命を理解すると、辛亥革命後の中国がなぜすぐ安定した共和制にならなかったのかが見えやすくなります。
まず一言でいうと
第二革命は、辛亥革命後に成立した中華民国で、袁世凱の権力集中に対抗した孫文・国民党系勢力の失敗した反袁蜂起です。
| 用語 | 第二革命 |
|---|---|
| 時期 | 1913年 |
| 中心人物 | 孫文、黄興、李烈鈞、宋教仁、袁世凱 |
| 性格 | 袁世凱への反発から起きた国民党系の武装蜂起 |
| 結果 | 袁世凱側が鎮圧、孫文らは亡命 |
| その後 | 国民党弾圧、中華革命党結成、袁世凱独裁化へ進む |
第二革命とは何か
第二革命は、1913年に袁世凱政権へ反発して起きた革命派の蜂起です。「第二」と呼ぶのは、1911年の辛亥革命に続く反袁の革命運動として位置づけられるためです。
BritannicaのSecond Revolution項目は、袁世凱に反対した動きが第二革命として知られ、袁の軍事的支持者によってすばやく鎮圧され、孫文が日本へ逃れた流れを整理しています。
つまり第二革命は、清朝を倒す革命ではありません。辛亥革命後の中華民国で、共和制を守ろうとした勢力と、軍事力を握る袁世凱との対立です。
背景は辛亥革命後の権力問題
辛亥革命では清朝が倒れ、1912年に中華民国が成立しました。孫文は臨時大総統となりましたが、清朝退位と国家統一を優先し、袁世凱へ大総統の地位を譲ります。
Britannicaの中国革命解説では、1912年2月12日に清の皇帝が退位し、孫文が大総統を辞任し、袁世凱が後任に選ばれた流れを確認できます。
問題はその後です。袁世凱は北洋軍を背景に強い実力を持ち、国民党系の議会政治と衝突しました。革命派にとって、辛亥革命で作った共和制が袁世凱の個人支配へ変わる危険がありました。
宋教仁暗殺と国民党の勝利
第二革命の前提として重要なのが、宋教仁です。宋教仁は中国同盟会をもとに国民党を作り、1913年初めの国会選挙で国民党を大きく伸ばした人物です。
Britannicaの宋教仁解説では、国民党が国会596議席中269議席を獲得し、多くの観察者が宋教仁を新内閣の首班候補と見ていたことを確認できます。
しかし宋教仁は、1913年3月20日に上海駅で撃たれ、3月22日に死亡。この暗殺は、袁世凱に反発する動きを一気に強める転機でした。
袁世凱との対立が深まる
宋教仁暗殺だけが原因ではありません。袁世凱は国会の同意なしに列強銀行団から大借款を受け、さらに江西の李烈鈞、広東の胡漢民、安徽の柏文蔚ら国民党系の省都督を罷免しました。
Academy of Chinese Studiesの解説は、1913年7月に李烈鈞が反袁の軍事行動を始め、南京、上海、安徽、広東、福建、湖南、四川などが独立を宣言した流れを示しています。
この一連の動きが、第二革命です。中心にあったのは、袁世凱の大総統権力と、国民党系勢力がめざした議会政治の衝突です。
経過と失敗
第二革命は、南方の国民党系勢力が袁世凱に反抗する形で始まった動きです。孫文や黄興も反袁の立場でした。
しかし袁世凱側の基盤は、北洋軍という強い軍事力です。各地の蜂起はまとまりを欠き、袁世凱の軍によって短期間で鎮圧されました。
Academy of Chinese Studiesは、袁世凱の北洋軍が第二革命を約2か月で鎮圧した流れを示す資料です。孫文、黄興ら革命派の指導者は海外へ逃れました。
第二革命の結果
第二革命の失敗後、袁世凱の権力はさらに強まりました。BritannicaのYuan Shikai解説では、1913年の反乱での勝利が中国の議会制民主主義の希望を終わらせた、という位置づけです。
袁世凱は国民党を弾圧し、議会政治を弱め、のちに皇帝即位をめざす流れへ進みました。これが1915〜1916年の第三革命や護国運動への伏線です。
一方、孫文は日本で運動を立て直し、1914年に中華革命党を組織しました。第二革命の敗北は、孫文系運動の再編につながった出来事でもありました。
辛亥革命・第三革命との違い
| 出来事 | 時期 | 主な相手 | 目的 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 辛亥革命 | 1911〜1912年 | 清朝 | 清朝打倒、共和制樹立 | 中華民国成立 |
| 第二革命 | 1913年 | 袁世凱 | 袁世凱の権力集中への抵抗 | 失敗、国民党弾圧 |
| 第三革命 | 1915〜1916年 | 袁世凱の帝政化 | 皇帝即位への反対 | 袁世凱が帝政を取り消す |
混同しやすい点は、第二革命が清朝打倒ではなく、辛亥革命後の袁世凱への反発だという点です。第三革命はさらに後、袁世凱が皇帝即位へ進んだことへの反発です。
世界史上の意味
第二革命の意味は、辛亥革命後の共和制が非常に弱かったことを示す点にあります。王朝を倒しても、議会、政党、軍隊、地方勢力の関係が整わなければ、政治は安定しません。
国民党は議会で力を持ち始めましたが、袁世凱は軍事力と行政権を握っていました。この力関係の差が、第二革命の失敗につながります。
そのため第二革命は、辛亥革命の成功と軍閥時代の混乱をつなぐ重要な節目です。
年表
| 年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1911年10月 | 武昌蜂起 | 辛亥革命が始まる |
| 1912年1月 | 中華民国成立 | 孫文が臨時大総統となる |
| 1912年2月 | 清帝退位、袁世凱が後任へ | 孫文が袁世凱へ地位を譲る |
| 1912年8月 | 国民党成立 | 宋教仁が同盟会を政党化 |
| 1913年3月20日 | 宋教仁が上海駅で撃たれる | 国民党と袁世凱の対立が激化 |
| 1913年3月22日 | 宋教仁死去 | 第二革命の直接的背景 |
| 1913年7月 | 李烈鈞らが反袁蜂起 | 第二革命が始まる |
| 1913年秋 | 第二革命鎮圧 | 孫文らは日本へ逃れる |
| 1914年7月 | 中華革命党成立 | 孫文が日本で反袁運動を再編 |
| 1915〜1916年 | 第三革命・護国運動 | 袁世凱の帝政化に反発 |
関連用語
- 辛亥革命: 第二革命の前提となった清朝打倒の革命。
- 武昌蜂起: 辛亥革命の直接のきっかけ。
- 孫文: 第二革命で袁世凱に対抗した革命家。
- 袁世凱: 第二革命で国民党系勢力が対抗した大総統。
- 宋教仁: 国民党を議会政党として伸ばした人物。暗殺が第二革命の背景となった。
- 黄興: 孫文とともに革命運動を支えた人物。
- 国民党: 袁世凱と対立した孫文系の政党。
- 中華革命党: 第二革命失敗後、孫文が日本で組織した反袁団体。
- 第三革命: 袁世凱の帝政化に反対した動き。
- 四大綱領: 中国同盟会の革命目標を示す用語。
試験で押さえるポイント
- 第二革命は1913年、袁世凱に対する国民党系革命派の蜂起。
- 背景には宋教仁暗殺、国民党の議会勢力拡大、袁世凱の権力集中がある。
- 李烈鈞らが反袁の軍事行動を始め、南方諸地域にも動きが広がった。
- 袁世凱の北洋軍によって短期間で鎮圧された。
- 孫文らは日本へ逃れ、のちに中華革命党を組織した。
- 清朝を倒した辛亥革命、袁世凱の帝政化に反対した第三革命と区別する。
よくある質問
第二革命とは何ですか?
1913年に、孫文や国民党系勢力が袁世凱の権力集中に反発して起こした武装蜂起です。袁世凱側に鎮圧されました。
第二革命のきっかけは何ですか?
宋教仁暗殺、袁世凱の大借款、国民党系省都督の罷免などが重なったことです。これにより国民党系勢力と袁世凱の対立が武装蜂起へ進みました。
第二革命は成功しましたか?
失敗しました。袁世凱の北洋軍が短期間で鎮圧し、孫文や黄興らは海外へ逃れました。
第二革命と辛亥革命の違いは?
辛亥革命は清朝を倒して中華民国成立へ進んだ革命です。第二革命はその後、袁世凱の権力集中に反発して起きた反袁蜂起です。
第二革命の後に何が起きましたか?
袁世凱の権力が強まり、国民党は弾圧されました。孫文は日本で中華革命党を組織し、反袁運動を続けました。
確認問題
- Q1. 第二革命は何年に起きたか。
答え: 1913年。 - Q2. 第二革命で国民党系勢力が対抗した人物は誰か。
答え: 袁世凱。 - Q3. 第二革命の背景となった国民党指導者の暗殺事件は誰の暗殺か。
答え: 宋教仁。 - Q4. 第二革命は成功したか。
答え: 失敗した。 - Q5. 第二革命失敗後、孫文が日本で組織した団体は何か。
答え: 中華革命党。
参考文献・参考資料
- Encyclopaedia Britannica, Second Revolution
- Encyclopaedia Britannica, Song Jiaoren
- Encyclopaedia Britannica, Sun Yat-sen: The revolution of 1911 and later struggles
- Encyclopaedia Britannica, Yuan Shikai
- Encyclopaedia Britannica, Chinese Revolution
- Academy of Chinese Studies, Yuan Shikai’s Autocracy and the Second Revolution
