国民党とは、孫文の革命運動から生まれた中国の政党です。中国語では中国国民党、英語では Nationalist Party、Kuomintang、KMT と表記されます。
世界史で重要なのは、国民党が一つの時期だけの政党ではない点です。1912年の議会政党、1914年の中華革命党、1920年代の改組国民党、北伐を進めた南京国民政府、国共内戦後に台湾へ移った政党という複数の段階を持ちます。
そのため国民党は、辛亥革命後の共和制、孫文の三民主義、蒋介石(蔣介石)の北伐、国共合作と国共内戦、台湾史をつなぐハブ用語です。
まず一言でいうと
国民党は、孫文系の革命運動から発展し、1928〜1949年には中国大陸の国民政府を支え、国共内戦後は台湾へ移った政党です。
| 用語 | 国民党 / 中国国民党 |
|---|---|
| 英語 | Nationalist Party / Kuomintang / KMT |
| 成立 | 1912年に政党として成立 |
| 関係人物 | 宋教仁、孫文、蔣介石 |
| 思想 | 三民主義 |
| 大陸統治 | 1928〜1949年に国民政府の中心 |
| その後 | 1949年以後、台湾へ移る |
国民党とは何か
国民党は、清朝打倒をめざした革命派の流れを受け継ぐ政党です。もとは中国同盟会などの革命勢力に由来します。
BritannicaのNationalist Party解説では、国民党は1912年に政治政党として成立し、宋教仁が創設者として位置づけられています。宋教仁暗殺後、孫文が再編を重ねたことも確認できます。
つまり国民党は、辛亥革命後の中国で、革命運動を議会政党・統一運動・国民政府へ変えていった組織です。
中国同盟会から国民党へ
国民党の前提は、1905年に東京で結成された中国同盟会です。同盟会は孫文らの反清革命派をまとめ、四大綱領を掲げた組織でした。
1911年の辛亥革命後、清朝は倒れ、中華民国が成立。革命派の課題は、清朝打倒から共和制運営へ移ります。
宋教仁は、この革命派を選挙に参加する政党へ再編した中心人物です。これが1912年の国民党形成です。
宋教仁暗殺と第二革命
国民党は1913年初めの国会選挙で勢力を伸ばしました。宋教仁は、議会に責任を負う内閣を作ろうとし、袁世凱の大総統権力と対立します。
しかし宋教仁は1913年3月、上海駅で撃たれて死亡。この事件は国民党と袁世凱の対立を激化させました。
同年、国民党系勢力は第二革命で蜂起し、袁世凱側に鎮圧されました。ここで国民党の初期議会政党としての試みは大きく後退します。
中華革命党から再編国民党へ
第二革命の失敗後、孫文は日本へ逃れ、1914年に中華革命党を組織。これは袁世凱に対抗するため、より強い統制を持つ組織として作られたものです。
その後、1919年に国民党名が復活し、1923〜1924年にはソ連の助言も受けながら党組織を改めます。Britannicaは、この時期の国民党がソ連の助言を受け、ボリシェヴィキ型の党組織に近づいたと整理しています。
この改組によって、国民党は単なる議会政党ではなく、軍事・宣伝・党組織を備えた革命政党へ変わっていきました。
三民主義との関係
国民党の基本理念は、孫文の三民主義です。三民主義は、民族主義・民権主義・民生主義を柱にした政治構想です。
BritannicaのThree Principles of the People解説は、三民主義を孫文の政治計画の思想的基礎として扱う項目です。国民党にとって、この理念が党の正統性の中心でした。
| 三民主義 | 国民党での意味 | 関連する課題 |
|---|---|---|
| 民族主義 | 中国の独立・統一 | 列強、軍閥、外国勢力への対応 |
| 民権主義 | 共和制と政治参加 | 議会政治、党国体制、憲政 |
| 民生主義 | 生活・経済問題への対応 | 土地、経済、社会改革 |
北伐と南京国民政府
孫文の死後、国民党の指導権はしだいに蒋介石へ移動。1926年から始まった北伐では、国民党軍が広州から北上し、軍閥勢力の打倒と中国統一を目標にしました。
BritannicaのNorthern Expedition解説は、1926〜1927年の北伐を、国民党軍が広州から長江方面へ進み、軍閥と戦った作戦として整理する項目です。
1928年、南京国民政府が中国の中心政府としての地位を強めた時期です。ただし地方軍閥、共産党、日本の侵略、党内対立など、統治は安定した一枚岩ではありませんでした。
中国共産党との関係
国民党と中国共産党の関係は、協力と対立の反復です。1924〜1927年には第一次国共合作が成立し、北伐でも共産党員が国民党側に加わりました。
しかし1927年、上海などで国民党右派が共産党勢力を弾圧し、両者の協力は崩れます。その後の中国政治は、国民党と共産党の対立を軸に動きました。
1937年以後の日中戦争期には第二次国共合作が成立。戦後、内戦が再燃しました。
国共内戦と台湾への移動
第二次世界大戦後、国民党と中国共産党の内戦が本格化。BritannicaのChinese Civil War解説は、1945〜1949年の内戦を、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の中国支配をめぐる軍事闘争として整理する項目です。
1949年、中国大陸では中華人民共和国が成立し、国民党政権は台湾へ移動。ここから国民党は、大陸中国の統治政党から台湾政治の主要勢力へ位置を変えました。
この流れを押さえると、国民党が中国近代史と台湾史の両方にまたがる政党である理由が明確です。
国民党の時期別整理
| 時期 | 形態 | 中心人物 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 1905年〜 | 中国同盟会 | 孫文、黄興、宋教仁 | 反清革命の連合組織 |
| 1912年〜 | 国民党 | 宋教仁、孫文 | 議会政党化 |
| 1914年〜 | 中華革命党 | 孫文 | 第二革命後の反袁組織 |
| 1919年〜 | 中国国民党 | 孫文 | 国民党名を復活 |
| 1923〜1928年 | 改組国民党・北伐期 | 孫文、蒋介石 | ソ連型組織、国共合作、北伐 |
| 1928〜1949年 | 南京国民政府 | 蒋介石 | 中国大陸の統治政党 |
| 1949年以後 | 台湾の国民党 | 蒋介石以後 | 台湾政治の主要勢力 |
世界史上の意味
国民党の意味は、中国の革命運動が政党、軍事組織、政府へ変化していく過程を示す点です。
辛亥革命だけでは、中国に安定した共和制は生まれませんでした。国民党の歴史は、議会政治の挫折、党組織の再編、軍閥打倒、共産党との対立、日中戦争、国共内戦という長い流れと重なります。
そのため国民党は、中国近代史を「清朝滅亡後どうなったか」という視点で読むための重要用語です。
年表
| 年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1905年 | 中国同盟会成立 | 国民党の前身となる革命派連合 |
| 1911年 | 辛亥革命 | 清朝打倒へ進む |
| 1912年 | 国民党成立 | 宋教仁が議会政党化を進める |
| 1913年 | 宋教仁暗殺、第二革命 | 袁世凱との対立で初期国民党が挫折 |
| 1914年 | 中華革命党成立 | 孫文が日本で反袁組織を再編 |
| 1919年 | 中国国民党名を復活 | 孫文の運動が新段階へ進む |
| 1923〜1924年 | 国民党改組 | ソ連の助言を受けて組織を強化 |
| 1926〜1928年 | 北伐 | 軍閥打倒と中国統一をめざす |
| 1928年 | 南京国民政府の時代へ | 国民党が大陸統治の中心となる |
| 1937〜1945年 | 日中戦争 | 第二次国共合作の時期 |
| 1945〜1949年 | 国共内戦 | 国民党と共産党が中国支配を争う |
| 1949年 | 国民党政権が台湾へ移る | 中華人民共和国成立後の転換 |
関連用語
- 孫文: 国民党の思想的中心となった革命家。
- 宋教仁: 1912年に国民党を議会政党として組織した人物。
- 中国同盟会: 国民党の前身となる反清革命組織。
- 三民主義: 国民党の基本理念となった孫文の思想。
- 四大綱領: 同盟会以来の革命目標。
- 袁世凱: 初期国民党と対立した中華民国初期の大総統。
- 第二革命: 国民党系勢力が袁世凱に反発して起こした蜂起。
- 中華革命党: 第二革命後に孫文が作った反袁組織。
- 蒋介石: 北伐と南京国民政府期の中心人物。
- 国共内戦: 国民党と中国共産党の内戦。
試験で押さえるポイント
- 国民党は1912年に宋教仁が政党として組織した。
- 孫文の三民主義を理念の柱にした。
- 宋教仁暗殺と第二革命で初期国民党は挫折した。
- 第二革命後、孫文は中華革命党を組織した。
- 1923〜1924年の改組で、国民党はより強い党組織へ変わった。
- 蔣介石は北伐を進め、南京国民政府の中心となった。
- 国共内戦に敗れ、1949年以後は台湾へ移った。
よくある質問
国民党とは何ですか?
孫文系の革命運動から発展した中国の政党です。1912年に政党化し、のちに南京国民政府を支え、国共内戦後は台湾へ移りました。
国民党を作ったのは誰ですか?
1912年に政党として組織した中心人物は宋教仁です。その後、孫文が再編を重ね、蔣介石の時代に国民政府の中心政党となりました。
国民党と中国同盟会の違いは?
中国同盟会は清朝打倒をめざした革命派の連合組織です。国民党は辛亥革命後、その流れを受けて議会政治に参加する政党として作られました。
国民党と中華革命党の違いは?
1912年の国民党は議会政党です。中華革命党は第二革命失敗後、孫文が1914年に日本で作った反袁世凱組織です。
国民党はなぜ台湾へ移ったのですか?
国共内戦で中国共産党に敗れたためです。1949年に中華人民共和国が成立し、国民党政権は台湾へ移りました。
確認問題
- Q1. 1912年に国民党を議会政党として組織した人物は誰か。
答え: 宋教仁。 - Q2. 国民党の基本理念となった孫文の思想は何か。
答え: 三民主義。 - Q3. 第二革命後、孫文が1914年に組織した反袁団体は何か。
答え: 中華革命党。 - Q4. 1926年から国民党軍が軍閥打倒をめざして進めた軍事行動は何か。
答え: 北伐。 - Q5. 国民党政権が台湾へ移るきっかけとなった内戦は何か。
答え: 国共内戦。
参考文献・参考資料
- Encyclopaedia Britannica, Nationalist Party
- Encyclopaedia Britannica, Sun Yat-sen: The revolution of 1911 and later struggles
- Encyclopaedia Britannica, History of China: The early republican period
- Encyclopaedia Britannica, Three Principles of the People
- Encyclopaedia Britannica, Northern Expedition
- Encyclopaedia Britannica, Chinese Civil War
