セシル・ローズとは?何した人か・デビアス・ローデシア・帝国主義を解説

セシル・ローズとは、19世紀後半の南部アフリカで活動したイギリスの実業家・政治家・帝国主義者です。ダイヤモンド会社デビアスを築き、ケープ植民地首相となり、英国南アフリカ会社を通じてローデシア方面への植民地拡大を進めました。

一方で、ローズはアフリカ人の土地・労働・政治参加を制限する政策や、ジンバブエ方面での征服と暴力にも深く関わった人物です。そのため現在では、ローズ奨学金の創設者として知られる一方、帝国主義と人種差別の象徴として強く批判されています。

もくじ

まず一言でいうと

セシルローズは、デビアス、ケープ植民地首相、ローデシア、ローズ奨学金で知られる、イギリス帝国主義を象徴する人物です。

「何した人か」を一言で答えるなら、南アフリカのダイヤモンド鉱業で富を得て、その資金と政治力を使い、イギリスのアフリカ支配を北へ広げようとした人です。

セシル・ローズの基本情報

項目内容
本名Cecil John Rhodes
生没年1853年7月5日〜1902年3月26日
出身イギリス、ハートフォードシャーのビショップス・ストートフォード
主な活動地南アフリカ、ケープ植民地、ローデシア方面
職業実業家、鉱山資本家、政治家、植民地拡張論者
政治的地位ケープ植民地首相(1890〜1896年)
関係企業デビアス、英国南アフリカ会社
有名な構想ケープ・カイロ構想
死因心臓病・長年の体調不良とされる

何をした人か

セシル・ローズの活動は、実業・政治・植民地支配・教育遺産の4つに分けると理解しやすくなります。

分野何をしたか世界史上の意味
鉱業デビアスを設立し、南アフリカのダイヤモンド産業で巨大な影響力を持った鉱業資本と帝国主義の結びつきを示す
政治ケープ植民地首相となり、アフリカ人の政治参加や土地利用を制限する政策を進めた植民地支配と人種差別政策の前史として重要
植民地拡張英国南アフリカ会社を通じて北方進出を進め、ローデシア形成に関わったアフリカ分割とイギリス帝国の拡大を理解する入口になる
教育遺産遺産でローズ奨学金を設立した現在も続く制度だが、創設者の植民地主義的背景をめぐって議論がある

デビアスとダイヤモンド鉱業

ローズが富を得た出発点は、南アフリカのキンバリー周辺でのダイヤモンド鉱業でした。1870年代に南アフリカへ渡ったローズは、鉱山事業へ進出し、やがて競争相手の事業を統合していきます。

1888年、ローズとバーニー・バルナートの事業が結びつき、デビアス統合鉱山会社が設立されました。De Beers Groupの沿革でも、1888年3月12日にデビアス統合鉱山会社が設立され、ローズが会長になったと説明されています。

ブリタニカは、1891年までにデビアスが世界のダイヤモンド生産の約90%を握ったと説明しています。これは単なる実業上の成功ではなく、鉱業資本が植民地支配や政治権力と結びつく例でもありました。

ケープ植民地首相としての政策

ローズは1890年から1896年まで、ケープ植民地の首相を務めました。首相としての彼は、鉄道や農業政策を進める一方で、アフリカ人の政治的・経済的権利を制限する政策にも関わりました。

特に重要なのが、1892年の選挙法改正と1894年のグレン・グレイ法です。ブリタニカは、これらがアフリカ人の投票権を制限し、隔離を強め、経済的選択肢を管理する方向に働いたと整理しています。

政策・出来事内容影響
選挙法改正財産・教育要件を通じて投票資格を厳しくするアフリカ人の政治参加を制限する方向に働いた
グレン・グレイ法土地保有や労働を管理する制度を導入アフリカ人の土地・労働・経済活動を制限した
北方進出政策イギリスの影響圏を北へ広げる構想ローデシア方面の植民地化と結びついた

ローデシアと英国南アフリカ会社

ローズは、1889年に勅許を受けた英国南アフリカ会社を通じて、南部アフリカの北方へ勢力を広げました。この会社は、鉄道建設、移民、貿易、鉱物権益の確保を目的に掲げました。

ブリタニカは、現在のジンバブエとザンビアにあたる地域が、のちにローズの名を取ってローデシアと呼ばれたと説明しています。ローデシアは、南ローデシアが現在のジンバブエ、北ローデシアが現在のザンビアにあたります。

ただし、この拡張は現地社会に大きな被害をもたらしました。Oriel Collegeは、ローズと英国南アフリカ会社がジンバブエ方面を植民地化し、その過程の一部が大きな苦しみと生命の喪失につながったと説明しています。

ケープ・カイロ構想とは

ローズの帝国主義的な構想として有名なのが、ケープ・カイロ構想です。これは、南アフリカのケープタウンからエジプトのカイロまで、アフリカを縦断するイギリス支配圏をつなごうとする考え方です。

この構想は、鉄道、電信、鉱山、植民地支配を結びつけるもので、19世紀末の帝国主義を象徴します。フランスの東西横断構想と衝突した文脈では、ファショダ事件とも関係します。

ジェームソン侵入事件と失脚

ローズの政治生命に大きな打撃を与えたのが、1895年末から1896年初めにかけて起きたジェームソン侵入事件です。これは、トランスヴァール共和国の政権転覆をねらった失敗した侵入事件でした。

ブリタニカは、この事件がローズ、植民地行政官レアンダー・スター・ジェームソンらによる計画と関係し、失敗後にローズがケープ植民地首相を辞任することになったと説明しています。事件は、イギリス人とボーア人の対立を悪化させ、のちの南アフリカ戦争につながる緊張を強めました。

ローズ奨学金

ローズは1902年に亡くなり、遺産によってオックスフォード大学で学ぶためのローズ奨学金が設立されました。Rhodes Trustは、ローズ奨学金を1902年のローズの遺言によって設立された国際的な大学院奨学金制度と説明しています。

ローズ奨学金は現在も続いており、多くの留学生を支援してきました。ただし、制度の創設者であるローズの植民地主義・人種差別的な背景は、奨学金やオックスフォードの記念物をめぐる議論と切り離せません。

何が問題視されているのか

セシル・ローズが問題視される理由は、単に「当時の帝国主義者だった」からではありません。彼は鉱業・政治・会社支配を通じて、南部アフリカの土地、鉱物、労働、人々の生活に大きな影響を与えました。

問題点内容
植民地拡張英国南アフリカ会社を通じ、ローデシア方面の植民地化に関わった
人種差別政策アフリカ人の投票権、土地利用、労働を制限する政策に関与した
鉱業支配ダイヤモンドや金などの資源開発を通じ、植民地経済を再編した
暴力と征服ジンバブエ方面での会社支配と征服は、現地社会に大きな被害をもたらした
記念物問題ローズ像やローズの名を冠した制度が、植民地主義の記憶をめぐる議論を呼んでいる

現代で議論される理由

ローズの評価は、現代でも激しく議論されています。理由は、彼の名が奨学金、大学、建物、像、地名などに残っているためです。

Oriel Collegeは、ローズ像がイギリスにおける人種差別と植民地主義の遺産をめぐる公的な議論の対象になってきたと説明しています。2015年に南アフリカのケープタウン大学で始まったRhodes Must Fall運動は、オックスフォードにも広がりました。

そのため、セシル・ローズを学ぶときは「成功した実業家」「奨学金の創設者」という面だけでなく、植民地支配と人種差別の歴史、そして現代の記憶の問題まで合わせて見る必要があります。

世界史上の意味

セシル・ローズは、19世紀末のパクス・ブリタニカアフリカ分割を理解するうえで重要な人物です。彼の活動は、鉱業資本、鉄道、会社支配、植民地政策、白人入植、現地社会への暴力が結びついた例でした。

つまりローズは、単なる南アフリカの政治家ではありません。イギリス帝国が資源と交通路を求めてアフリカへ進出した時代を象徴する人物です。同時に、その帝国主義が現地社会に残した被害と、現代の記憶の対立を考える入口でもあります。

年表で見るセシル・ローズ

出来事ポイント
1853年イギリスで生まれる本名はセシル・ジョン・ローズ
1870年南アフリカへ渡る健康上の理由もあり、兄のもとへ送られる
1870年代キンバリー周辺のダイヤモンド鉱業に関わる鉱業資本家として成長する
1881年ケープ植民地議会に入る政治活動を本格化
1888年デビアス統合鉱山会社を設立ダイヤモンド産業で大きな影響力を持つ
1889年英国南アフリカ会社が勅許を得るローデシア方面への進出と関係
1890年ケープ植民地首相となる1896年まで在任
1894年グレン・グレイ法アフリカ人の土地・労働・政治参加を制限する政策と関係
1895〜1896年ジェームソン侵入事件失敗後、首相を辞任
1902年死去遺言によりローズ奨学金が設立される

覚え方

セシル・ローズは、次の5点で覚えると整理しやすくなります。

  • デビアス: 南アフリカのダイヤモンド鉱業で富を得た
  • ケープ植民地首相: 1890〜1896年に首相を務めた
  • ローデシア: 英国南アフリカ会社を通じて北方進出を進めた
  • 帝国主義: ケープ・カイロ構想に象徴されるイギリス支配拡大を目指した
  • ローズ奨学金: 遺産で設立されたが、創設者の植民地主義をめぐって議論が続く

短く覚えるなら、「デビアスで富を得て、ケープ植民地首相となり、ローデシア方面の植民地拡大を進めた帝国主義者」です。

関連用語

用語関係
帝国主義ローズの活動全体を理解する中心概念
ケープ植民地ローズが首相を務めた植民地
ローデシアローズの名に由来する植民地地域
アフリカ分割列強がアフリカを分割した時代背景
イギリス第二帝国19世紀以降のイギリス帝国拡大と関係
パクス・ブリタニカイギリスの海上・経済覇権と植民地支配の文脈
南アフリカ戦争ジェームソン侵入事件後の英・ボーア対立と関係
トランスヴァール共和国ジェームソン侵入事件の対象となったボーア共和国
ファショダ事件アフリカ縦断・横断政策の対立を理解する関連事件
ヴィクトリア朝ローズが活動したイギリス帝国の時代背景

よくある質問

セシルローズとは何した人ですか?

南アフリカのダイヤモンド鉱業で富を得てデビアスを築き、ケープ植民地首相となり、英国南アフリカ会社を通じてローデシア方面への植民地拡大を進めた人物です。

セシル・ローズは何人ですか?

イギリス人です。1853年にイギリスで生まれ、南部アフリカで実業家・政治家として活動しました。

セシル・ローズの功績は何ですか?

イギリス帝国側から見れば、デビアスの設立、ケープ植民地首相としての活動、ローデシア方面への進出、ローズ奨学金の設立が挙げられます。ただし、これらは植民地支配、人種差別、現地社会への暴力と切り離せません。

セシル・ローズとデビアスの関係は何ですか?

ローズは1888年にデビアス統合鉱山会社の設立に関わり、会長となりました。デビアスは南アフリカのダイヤモンド産業で大きな影響力を持ちました。

ローデシアは現在のどこですか?

南ローデシアは現在のジンバブエ、北ローデシアは現在のザンビアにあたります。ローデシアという名前はセシル・ローズに由来します。

セシル・ローズの死因は何ですか?

長年の体調不良と心臓病によるものとされます。1902年、ケープ植民地のミューゼンバーグで48歳で亡くなりました。

なぜセシル・ローズは批判されるのですか?

南部アフリカでの植民地拡張、アフリカ人の土地・労働・政治参加を制限する政策、ジンバブエ方面での征服と暴力に関わったためです。現在も像や奨学金をめぐって議論があります。

確認問題

  1. セシル・ローズが設立に関わったダイヤモンド会社は何ですか?
  2. ローズが首相を務めた植民地はどこですか?
  3. ローズの名に由来する地域名で、現在のジンバブエ・ザンビア方面にあたるものは何ですか?
  4. ローズのアフリカ縦断構想を何といいますか?
  5. セシル・ローズが現代に批判される主な理由を一つ挙げてください。

解答

  1. デビアス。
  2. ケープ植民地。
  3. ローデシア。
  4. ケープ・カイロ構想。
  5. 植民地支配、人種差別政策、アフリカ人の土地・労働・政治参加の制限、ジンバブエ方面での征服と暴力など。

参考文献・参考資料

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