ラッサールとは、19世紀ドイツの社会主義者・政治運動家です。普通選挙の実現を重視し、1863年に全ドイツ労働者協会を創設して、ドイツ労働運動の出発点をつくった人物として知られます。
カール・マルクスと交流がありましたが、国家の力を使った改革や普通選挙を重視した点で、マルクスとは考え方が異なりました。最期はスイスでの決闘が原因で、39歳で亡くなりました。
まず一言でいうと
フェルディナント・ラッサールは、ドイツ労働運動の初期を代表する社会主義者です。
彼は労働者が政治的な力を持つためには、普通選挙が必要だと考えました。そして1863年、全ドイツ労働者協会をつくり、ドイツ社会民主主義の源流の一つになりました。
ラッサールの基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | フェルディナント・ラッサール |
| 英語表記 | Ferdinand Lassalle |
| 生没年 | 1825年〜1864年 |
| 出身 | プロイセン王国のブレスラウ |
| 主な立場 | 社会主義者、政治運動家、著述家 |
| 重要な活動 | 全ドイツ労働者協会の創設 |
| 覚えるポイント | 普通選挙、国家援助、生産協同組合、マルクスとの違い |
ラッサールは何をした人か
ラッサールの最大の意義は、労働者を政治的に組織しようとしたことです。
19世紀のドイツでは、産業化が進む一方で、労働者の政治的発言力は限られていました。ラッサールは、労働者が生活を改善するには、政治参加の権利を広げる必要があると考えました。
そのため彼は、普通選挙を強く主張しました。労働者が選挙で政治に参加できれば、国家を通じて社会改革を進められると考えたのです。
全ドイツ労働者協会の創設
1863年、ラッサールはライプツィヒで全ドイツ労働者協会を創設しました。
この組織は、ドイツ語圏で労働者を政治的にまとめようとした初期の重要な団体です。現在のドイツ社会民主主義の源流の一つとして位置づけられます。
ラッサールはこの協会で、普通選挙の実現を中心目標に掲げました。労働者の要求を、単なる経済問題ではなく政治問題として押し出した点が重要です。
ラッサールの思想
普通選挙の重視
ラッサールは、労働者が政治を変えるためには普通選挙が必要だと考えました。
当時の選挙制度では、財産や身分によって政治参加が制限されることがありました。ラッサールは、労働者も政治に参加できる制度を求めたのです。
国家援助による生産協同組合
ラッサールは、労働者が自分たちで生産協同組合をつくり、国家がそれを支援する構想を持っていました。
これは、労働者が資本家に雇われるだけでなく、自分たちで生産を担う仕組みをつくろうとする考え方です。ラッサールは、国家を敵と見るだけでなく、改革に利用できるものとして考えました。
鉄の賃金法則
ラッサールは、労働者の賃金は長期的には最低生活水準に押し下げられやすい、という考え方を示しました。これは「鉄の賃金法則」と呼ばれます。
この考え方は、労働者が個別に努力するだけでは貧困から抜け出しにくい、という問題意識につながりました。そのため彼は、政治参加と組織化を重視しました。
マルクスとの違い
ラッサールはカール・マルクスと交流があり、社会主義思想に関心を持っていました。しかし、両者の考え方は同じではありません。
| 項目 | ラッサール | マルクス |
|---|---|---|
| 政治参加 | 普通選挙を重視 | 階級闘争と革命を重視 |
| 国家の見方 | 国家を改革に利用できると考えた | 国家を支配階級の道具として批判 |
| 労働者政策 | 国家援助による生産協同組合を主張 | 資本主義体制そのものの分析と変革を重視 |
| 運動の方向 | 合法的・政治的な組織化を重視 | 国際的な労働者運動と資本主義批判を重視 |
簡単に言えば、ラッサールは「国家と選挙を使って労働者を強くする」方向を重視し、マルクスは「資本主義そのものを分析し、階級闘争による変革」を重視しました。
ビスマルクとの関係
ラッサールは、プロイセンの政治家ビスマルクとも接触しました。
ビスマルクは自由主義勢力と対立しており、労働者層を政治的にどう扱うかを考えていました。一方ラッサールは、普通選挙や国家による改革の可能性を探っていました。
この関係は、ラッサールが国家を改革の手段として見ていたことを示します。ただし、ビスマルクと同じ政治思想だったわけではありません。
ラッサールの決闘と死
ラッサールは1864年、スイスで決闘により致命傷を負い、39歳で亡くなりました。
決闘の背景には、ヘレーネ・フォン・デーニゲスという女性との恋愛問題がありました。彼女の家族が結婚に反対し、ラッサールは相手側の男性と決闘することになりました。
この決闘でラッサールは腹部に傷を負い、数日後に亡くなりました。政治運動家として活動を本格化させてから間もない死でした。
世界史上の意味
ラッサールは、ドイツ労働運動を政治運動として形にした人物です。
彼の思想には、後の社会民主主義につながる要素がありました。労働者が選挙を通じて政治に参加し、国家を使って社会改革を進めるという発想は、革命だけでなく議会政治を通じた社会改革の道を示しました。
そのためラッサールは、マルクスとは異なるタイプの社会主義者として、ドイツ社会民主主義の歴史を理解するうえで重要です。
年表で見るラッサール
| 年 | 出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1825年 | ブレスラウで生まれる | プロイセン王国出身 |
| 1848年 | 革命期に政治活動へ関わる | マルクスやエンゲルスとも接点を持つ |
| 1862年 | 労働者向けの講演や著述を行う | 普通選挙や労働者の政治参加を主張 |
| 1863年 | 全ドイツ労働者協会を創設 | ドイツ労働運動の重要な出発点 |
| 1864年 | スイスでの決闘が原因で死去 | 39歳で亡くなる |
覚え方
ラッサールは、次の3点で覚えると整理しやすくなります。
- 普通選挙を重視したドイツの社会主義者
- 1863年に全ドイツ労働者協会を創設した
- マルクスとは違い、国家を使った改革に期待した
関連用語
- マルクス: ラッサールと交流があったが、国家や革命への考え方は異なる
- 科学的社会主義: マルクス主義とラッサールの違いを考えるうえで重要
- 空想的社会主義: 19世紀社会主義思想の流れを理解する関連語
- ビスマルク: ラッサールが接触したプロイセンの政治家
- 1848年革命: ラッサールの政治活動の背景になった革命運動
- 第1インターナショナル: 19世紀の国際労働運動を理解する関連語
よくある質問
ラッサールとは何をした人ですか?
19世紀ドイツの社会主義者で、普通選挙を重視し、1863年に全ドイツ労働者協会を創設した人物です。ドイツ労働運動の初期を代表します。
ラッサールとマルクスの違いは何ですか?
ラッサールは普通選挙や国家援助による改革を重視しました。マルクスは資本主義の構造分析や階級闘争を重視し、国家を支配階級の道具として批判しました。
全ドイツ労働者協会とは何ですか?
1863年にラッサールが創設した労働者の政治組織です。ドイツ社会民主主義の源流の一つとされます。
ラッサールはなぜ決闘したのですか?
ヘレーネ・フォン・デーニゲスとの恋愛問題が背景にありました。彼女の家族が結婚に反対し、ラッサールは相手側の男性と決闘し、致命傷を負いました。
ラッサールは何歳で亡くなりましたか?
39歳で亡くなりました。1864年、スイスでの決闘で負傷し、その数日後に死去しました。
確認問題
- ラッサールが1863年に創設した労働者組織は何ですか。
- ラッサールが労働者の政治参加のために重視した制度は何ですか。
- ラッサールとマルクスの国家観の違いを簡単に説明しましょう。
- ラッサールが主張した、国家援助によってつくる労働者組織は何ですか。
- ラッサールはどのような出来事が原因で亡くなりましたか。
解答
- 全ドイツ労働者協会。
- 普通選挙。
- ラッサールは国家を改革に利用できると考え、マルクスは国家を支配階級の道具として批判した。
- 生産協同組合。
- 恋愛問題を背景とする決闘で負傷し、亡くなった。
