プロイセン王国とは?どこの国・現在の場所・ドイツ統一までをわかりやすく解説

プロイセン王国とは、1701年にホーエンツォレルン家のフリードリヒ1世が成立させたドイツ系の王国です。18世紀には軍事力と官僚制を背景に強国となり、19世紀にはビスマルクのもとでドイツ統一を主導しました。

「プロイセンは現在どこか」と聞かれたら、当時の領土は現在のドイツ北部・東部、ポーランド西部、ロシア領カリーニングラード周辺などにまたがっていた、と考えると整理しやすいです。現在、プロイセン王国という国は存在しません。

もくじ

まず一言でいうと

プロイセン王国は、ドイツ統一の中心になった軍事・官僚国家です。

もともとはブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国を基盤に発展しました。1701年に王国となり、フリードリヒ大王の時代にヨーロッパの大国へ成長します。その後、19世紀にオーストリアやフランスとの戦争を経て、1871年のドイツ帝国成立につながりました。

プロイセン王国の基本情報

項目内容
国名プロイセン王国
英語名Kingdom of Prussia
ドイツ語名Königreich Preußen
成立1701年
王朝ホーエンツォレルン家
中心都市ベルリン
重要人物フリードリヒ1世、フリードリヒ2世、ビスマルク、ヴィルヘルム1世
世界史での重要性ドイツ統一を主導し、ドイツ帝国の中心になった

プロイセン王国はどこの国?現在はどこ?

プロイセン王国は、現在の国名でそのまま残っている国ではありません。歴史上のプロイセンは、時期によって領土が大きく変わります。

おおまかに言うと、王国の中心はベルリンを含むブランデンブルク地方にありました。一方、「プロイセン」という名前のもとになった東プロイセンは、現在のポーランド北部やロシア領カリーニングラード周辺に関係します。

そのため、プロイセンを現在の地図に置き換えるときは、「現在のドイツだけ」と単純に考えないことが大切です。ドイツ北部・東部、ポーランド西部・北部、カリーニングラード周辺などにまたがる歴史的地域として理解します。

成立の背景

プロイセン王国のもとになったのは、ブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国です。

ブランデンブルクは神聖ローマ帝国内の有力な領邦で、ベルリンを中心に発展しました。一方、プロイセン公国はバルト海沿岸の地域にあり、神聖ローマ帝国の外側に位置していました。

この2つをホーエンツォレルン家が結びつけたことで、ブランデンブルク=プロイセンという複合国家が成長します。そして1701年、選帝侯フリードリヒ3世がケーニヒスベルクで戴冠し、フリードリヒ1世として「プロイセンの王」となりました。

なぜ「王国」になれたのか

神聖ローマ帝国内では、諸侯が自由に王を名乗れるわけではありませんでした。しかしプロイセン公国は帝国の外にあったため、ホーエンツォレルン家はその地域を根拠に王号を得ることができました。

ただし最初の称号は、厳密には「プロイセンにおける王」とされました。これは、ブランデンブルクがまだ神聖ローマ帝国の枠内にあり、プロイセン全域を完全に支配していたわけでもなかったためです。

このように、プロイセン王国は最初からまとまった国民国家だったわけではありません。複数の領土をホーエンツォレルン家が支配し、それを軍事・官僚制でまとめていった国家でした。

フリードリヒ大王と強国化

プロイセン王国をヨーロッパの強国に押し上げた代表的人物が、フリードリヒ2世、いわゆるフリードリヒ大王です。

フリードリヒ2世は、オーストリア継承戦争や七年戦争を通じてシュレジエンを獲得・保持しました。シュレジエンは経済的に重要な地域であり、プロイセンの国力を高める大きな要因になりました。

同時に、プロイセンでは軍隊と官僚制が強く結びつきました。王のもとで行政を整え、軍事力を国家の中心に置く体制が発展したため、プロイセンは「軍事国家」としても知られるようになります。

プロイセン改革とナポレオン戦争

1806年、プロイセンはナポレオン軍に敗れ、大きな危機を迎えました。この敗北は、古い体制の弱点を明らかにしました。

その後、シュタインやハルデンベルクらによって改革が進められます。農奴制の改革、行政改革、軍制改革、教育改革などを通じて、プロイセンは近代国家として立て直されました。

この改革は、後のドイツ統一にもつながります。プロイセンは単に軍事力が強いだけでなく、国家を動かす官僚制・教育・行政の仕組みを整えていったのです。

ドイツ統一との関係

19世紀のドイツには、多くの領邦国家が分立していました。統一の主導権をめぐって、プロイセンとオーストリアが対立します。

プロイセンの宰相ビスマルクは、軍事力と外交を使って統一を進めました。1866年の普墺戦争でオーストリアを排除し、北ドイツ連邦をつくります。さらに1870年〜1871年の普仏戦争でフランスに勝利し、1871年にドイツ帝国が成立しました。

このときプロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となりました。つまり、プロイセン王国はドイツ帝国の中に残りながら、その中心的な地位を占めたのです。

戦争・出来事意味
普墺戦争1866年オーストリアをドイツ統一から排除した
北ドイツ連邦成立1867年プロイセン中心の統一体制が進んだ
普仏戦争1870年〜1871年南ドイツ諸邦も統一へ向かう契機になった
ドイツ帝国成立1871年プロイセン王がドイツ皇帝となった

プロイセン王国はいつ消えたのか

プロイセン王国は、1918年のドイツ革命で王政が倒れたことで王国としては終わりました。第一次世界大戦後、プロイセンはワイマール共和国の一州になります。

その後、第二次世界大戦後の1947年、連合国管理理事会によってプロイセン国家は正式に廃止されました。現在、プロイセン王国やプロイセン州は存在しません。

ただし、プロイセンの歴史的影響はドイツ統一、軍制、官僚制、教育制度、近代ドイツ国家の形成を考えるうえで重要です。

世界史上の意味

プロイセン王国の重要性は、ドイツ統一を理解する鍵になることです。

中世以来、ドイツ地域は神聖ローマ帝国のもとで分裂的な状態が続きました。その中でプロイセンは、軍事・官僚制・外交を用いて北ドイツをまとめ、最終的にドイツ帝国成立へつなげました。

また、プロイセンは「近代国家とは何か」を考えるうえでも重要です。王権、軍隊、官僚制、教育、産業化が結びつき、ヨーロッパの勢力均衡を大きく変えたからです。

年表で見るプロイセン王国

出来事ポイント
1618年ブランデンブルク選帝侯がプロイセン公国を継承ブランデンブルク=プロイセンの基盤ができる
1701年フリードリヒ1世がプロイセン王となるプロイセン王国の成立
1740年フリードリヒ2世が即位強国化の始まり
1740年〜1748年オーストリア継承戦争シュレジエン獲得へつながる
1806年ナポレオン軍に敗北改革の必要性が明らかになる
1866年普墺戦争オーストリアを退け、統一の主導権を握る
1871年ドイツ帝国成立プロイセン王がドイツ皇帝となる
1918年ドイツ革命プロイセン王国としては終わる
1947年プロイセン国家が廃止連合国管理理事会による正式廃止

覚え方

プロイセン王国は、次の3点で覚えると整理しやすくなります。

  • 1701年に成立したホーエンツォレルン家の王国
  • フリードリヒ大王の時代に強国化した
  • ビスマルクのもとでドイツ統一を主導した

関連用語

  • ビスマルク: プロイセン王国の宰相としてドイツ統一を主導した
  • 普墺戦争: プロイセンがオーストリアを破り、ドイツ統一の主導権を握った戦争
  • 普仏戦争: ドイツ帝国成立の直接の契機になった戦争
  • ドイツ帝国: 1871年に成立し、プロイセン王が皇帝となった国家
  • 北ドイツ連邦: ドイツ帝国成立前のプロイセン中心の連邦
  • 鉄血政策: ビスマルクの統一政策を理解する重要語
  • プロイセン改革: ナポレオン戦争後に進められた国家改革

よくある質問

プロイセン王国とは何ですか?

1701年に成立したホーエンツォレルン家の王国です。18世紀に強国化し、19世紀にはビスマルクのもとでドイツ統一を主導しました。

プロイセン王国は現在どこの国ですか?

現在は存在しません。歴史上の領土は、現在のドイツ北部・東部、ポーランド西部・北部、ロシア領カリーニングラード周辺などにまたがっていました。

プロイセン王国の首都はどこですか?

中心都市はベルリンです。戴冠はケーニヒスベルクで行われましたが、王国の政治的中心はベルリンでした。

プロイセン王国とドイツ帝国の違いは何ですか?

プロイセン王国はドイツ統一を主導した王国で、ドイツ帝国は1871年に成立した統一国家です。ドイツ帝国では、プロイセン王がドイツ皇帝となりました。

プロイセン王国はなぜ強かったのですか?

軍隊、官僚制、財政、教育を王権のもとで強く結びつけたためです。フリードリヒ大王の時代には、戦争と領土拡大によってヨーロッパの大国になりました。

確認問題

  1. プロイセン王国が成立した年を答えましょう。
  2. プロイセン王国を支配した王朝名は何ですか。
  3. プロイセン王国を強国化した代表的な王は誰ですか。
  4. プロイセンの宰相としてドイツ統一を主導した人物は誰ですか。
  5. 1871年に成立した、プロイセン王を皇帝とする国家は何ですか。

解答

  1. 1701年。
  2. ホーエンツォレルン家。
  3. フリードリヒ2世、またはフリードリヒ大王。
  4. ビスマルク。
  5. ドイツ帝国。

参考文献・参考資料

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