“赤軍(旧ソ連の陸軍)”はソビエト連邦をどのように支えたのか?

第一次世界大戦以前、世界の陸地のおおよそ6分の1を占めるロシア帝国は、ロマノフ朝が300年間統治していました。
1922年からはいくつかのソビエト社会主義共和国で構成されたソビエト連邦が生まれます。

広大な土地を持つこの国では、たくさんの戦争と様々な人物による統制が繰り返されてきました。
私が物心ついたとき、現在のロシアはソビエト連邦と呼ばれていて、小学校の社会では世界で一番大きな領土を持つ国として習ったことを覚えています。

しかし、ソビエト連邦周辺の国が独立して新しい国名が増えていたり、今でも領土をめぐって戦争を行っているこの国に、どのような歴史があるのか知らなかった私。
複雑なソビエト連邦の歴史を学んで理解するのは、とても時間と労力がかかります。

ソビエト連邦の歴史を学ぶには、赤軍(旧ソ連軍の陸軍)を知ることが重要です。
赤軍を知ることで、この国のたどってきた道が想像できるようになることでしょう。

今回は、赤軍(旧ソ連軍の陸軍)がソビエト連邦の歴史にどう関わってきたのかを探って行きたいと思います。

もくじ

赤軍とは

赤軍は1918年から1946年にロシア帝国・ソビエト連邦で活躍した軍隊です。

1917年の十月革命後に起こったロシア内戦の最中に労働者・農民赤軍として作られました。
革命を反革命軍や外国の干渉から守る目的で組織され、1918年1月に志願制で発足した軍です。

同じ年の6月に一定年齢の勤労者から人員を募り、7月には18歳から40歳の全ての勤労者に義務として兵役が課せられます。
旧軍人から幹部として人員を集め、先進的な装備と作戦で瞬く間に強い軍に成長します。

赤軍は平等で公正な社会を目指す社会主義を掲げており、労働者と農民から指示を集めます。
正式には労農赤軍といい、1937年の海軍独立の後、陸軍を指す呼称となりました。
1946年にはソ連陸軍と改称されました。

ロシア帝国が終わりを迎え、王様がいなくなったこの国は、様々な考えを持った人々が入り乱れて混とんとしていたようです。
その日暮らしの国民が溢れ、軍隊もデモに加わり、当時を生きていた人たちは本当に大変だったのではないでしょうか?

なぜ“赤”なのか?

赤軍は名前の通り赤を旗印とした軍隊でした。
赤軍の“赤”は社会主義を表しますが、ロシア語の“赤い”は元々“美しい”の意味で、単に共産主義思想だけではないようです。

また、革命によりソビエト国家が誕生するまでに流されてきた労働者の血を意味しているともいわれています。
広い意味では、革命の後からあった赤衛隊も『赤軍』と呼ばれ、ロシア内戦の時に赤軍はボリシェヴィキの軍隊を示す言葉として使われることも。

ボリシェヴィキとは、ロシア社会民主労働党が分裂してできた左派の一派です。
ウラジーミル・レーニンが率いていました。

赤軍に対する反革命軍は『白軍』と呼ばれ、ソビエト政権に対し武装蜂起を起こしたため、国内は内戦状態になりました。
農民やコサックが勢力の『緑軍』もあり、農作物を厳しく取り立てる赤軍に反攻します。

赤軍は白軍や緑軍を抑えて勢力を拡大していきました。

赤対白といえば、小学校時代の運動会を思い出します。
体育の時間にかぶる帽子が赤と白になっていて、2つに組み分けされていました。
毎年運動会前は、赤組になるか白組になるかで生徒たちの話題に。

私は攻撃的で強いイメージのある赤が好きで、赤組になるとテンションが上がりました。
大人になっても、勝負事があるときは赤いものを身に着けています。
なんだか勝てそうな気がするんですよね!

赤軍の規模

内戦や外国との戦争が本格的になった1918年の夏頃は徴兵制が始まり、労働者も動員されるように。
この年の4月に15万人だった赤軍は、9月に55万人になり、1920年の年末には550万人に膨れ上がります。

1937年12月にソ連海軍から独立した赤軍は、1941年6月に独ソ戦が開戦された時は約570万人の規模でした。
さらに第二次世界大戦中は1500から2000万人という大兵力に!

ところが第二次世界大戦中に700から1000万人が死亡し、戦後は約500万人に減少
1989年12月の冷戦終結時には300万人になっていました。

赤軍の規模は大幅に変化していますが、縮小された時代があっても名前を変えて近年まで続いていたことに驚きました。
規模が拡大し人員が増えているといっても、それだけたくさんの人が亡くなっているのは悲しいです。

赤軍のあゆみ

1918年、ウラジーミル・レーニンを首班にソビエト政権が創設した赤軍。
1918年1月に労働者・農民赤軍として設立された赤軍は、1918年から1925年1月にかけて軍事人民委員(軍隊大臣に相当)を務めたレフ・トロツキーが率いていきます。

外国の干渉軍や国内の反革命軍と戦ってソビエト政権を守りました。

高い軍事力

革命軍事会議の議長だったレフ・トロツキーは旧軍人から幹部を登用し、近代的な装備を使って強い軍隊を作り上げていきました。
反革命政権である白軍との内戦や、対ソ干渉戦、革命路線を巡って対立した社会革命党左派との抗争などで実力を発揮します。

1920年4月に起こったソビエト・ポーランド戦争では大敗してしまい、領土を喪失することに。
1922年10月の内戦終結で動員解除が行われ、500万人から50万人に減少します。

赤軍はこれまでの戦争で得た経験や、ドイツとの軍事交流で学んだ機動戦・航空戦の知識で、新しい時代に合わせた軍事力の形成に力を入れていきます。

機動戦に適合する傍ら、ロシア帝国時代からの伝統である砲兵重視の火力主義も使い、敵軍の全縦深に火力集中を可能にするため、砲兵軍団を創りました。

1937年7月から1938年11月までスターリンの党内部・国内での弾圧の影響により、将官が排除され軍隊の近代化が進まない状態に。
数々の戦いを行う中で戦術の知識を学び、先進的な装備を取り入れ、とても強い軍だったことが分かりました。

赤軍の戦歴

赤軍の戦歴はソビエト国内の内戦や海外侵攻など数々あります。
主な戦歴をご紹介します。

  • 1918~1922年 ロシア内戦
  • 1919~1921年 ポーランド・ソビエト戦争
  • 1929年 中ソ紛争
  • 1938年 張鼓峰事件
  • 1939~1945年 第二次世界大戦

1939年11月にフィンランドへ侵略した冬戦争、ドイツが侵攻してきた大祖国戦争を経て、国の存続危機に陥るほどの痛手を負いました。

しかし、アメリカの援助や大量の増員が行われたおかげで兵力が整備され、ドイツ軍をベルリンにまで後退させました。
極東方面でも満州・朝鮮・樺太へ侵攻していきます。
第二次世界大戦と共に赤軍は兵力を拡大していきましたが、1946年にはソ連軍と改称し、1947年には約300万人と兵力は減少しました。

まとめ

  • 赤軍はロシア帝国およびソビエト連邦で活躍した軍隊
  • 赤軍の“赤”は社会主義を表し、ロシア語で“美しい”の意味があり、“流されてきた労働者の血”という意味もある
  • 独ソ戦の時期は570万規模だったが、第二次世界大戦中は1500万から2000万人まで成長した
  • 外国の干渉軍や国内の反革命軍と戦いソビエト政権を守った

ソビエト政権が設立した赤軍。
赤軍は社会主義を目指したため内戦が起こり、外国勢力との様々な戦いに参加しました。

豊かなで平等な社会を目指したソビエト政権は、自由なビジネスや生活とはほど遠いものでした。
過酷な生活を強いられた国民による反乱の中で、第二次世界大戦などを経てソビエト連邦は終わりを告げます。

日本人の私たちは赤軍といえば、日本赤軍が一番に思い浮かびます。
ドイツにも共産主義の過激派テロ組織の赤軍がありました。
いずれの赤軍も、資本主義打倒を掲げた、過激で攻撃的な強い組織の印象を受けます。

赤軍の目指す社会主義は、土地やお金など生産手段が私的に所有されることがない社会のことで理想社会を目指すものでした。

平等で公正な社会を目指した活動や運動が行われましたが、権力の集中や非効率な経済が生じる結果に。
資本主義の社会を生きている私たち日本人は、経済の発展のおかげで格差はあれど豊かに暮らせています。

私は赤軍やソビエト連邦の歴史を探ることで、自分たちの暮らしとは違った社会があったことを知りました。
これにより、自分たちが暮らしている環境を考えさせられるきっかけとなりました。

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